熱田神宮⑦ 楠之御前(くすのみまえ)社【“足元”の気づき】

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熱田神宮の正門(南門)を通って、すぐ右わきには「楠之御前(くすのみまえ)社」がございます。

御祭神は、国産み(くにうみ)神話などで知られる夫婦神 “伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)”です。

地元では“お楠さま”と呼ばれ、古くより「子安の神」として篤く信仰されてきたそうで、実際、お社には沢山の奉納品が見受けられました。

わたくし自身、この夫婦神よりの御神託が、折に触れ降ろされてまいりました。

現象界での人間の動向と、それを取り巻く環境の変化を受け、神々は大きく動きます。

両神よりの御神託とは、天の御意向が、何の装飾もなく(遠慮なく)反映され、霊視を司る者は粛々と受け入れていかねばならない、かなりの厳しい御言葉です。

お参りの際、必要な局面で、二柱の神が渦のように光を発されますので、これより御神託がはじまるのだとすぐに気づきます。その際には、自分なりに覚悟を決めて、直立不動で(御神託を)お聴きし、これからの世の変容、そして人類の在るべき姿へ想いを馳せます。

今回は、皆様への愛ある厳しきメッセージです。

どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。

Rinokia

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「あなたがたは、一度(一旦)、“遠く”を見やりなさい。

あえて、わたくしども(神々)は今この場にて伝えます。

人類のこれまでの歩み(歴史)にあって、人の思考(や行動など)は、諸物の(諸々の)進み(※ここでは進化や発展という意味です。)の勢いを受け、益々“遠く”の物事にこそ、関心を寄せる(あるいは活動する)ようになりました。

手元(身近)に無い物事を追い求め、より一層、自ら手に入れようとする、人の観念は、いまだ見い出せぬ(手の届かぬ・遠い)物事にこそ価値を見い出すかのごとく、そうした散在(散り散りになる様相)を示すまでになりました。

“足元を見ず”――― まさにそのとおりです。

自らに得たもの、そしてすでにあなたがたが得ている(恵まれている)物事は、数え切きれぬほど重なり(積み重なり)、あなた一人の人生は、様々な恩恵や奇跡によって形作られているのです。

冒頭にての、“遠くを見やりなさい”というわれらの言葉は、あなたがた人類のこれまでの仕草(動き)にちなみ、あえて(そのようにすることを)お伝えしたものです。

人の、すでに足ることを忘れ、貪(むさぼ)るがごとくの安易なる欲のままに、不足不平(不平不満)、そして(遠くの)幻を追い求めているようでは、すでに授かる、数々の奇跡(※ここではありがたさ・幸せなどです。)に気づくことはできぬでしょう。

今や、あなたがたは日常、広く世を知る(世界中のことが分かる)ようになりました。

今の世に見る、遠くの朧気(おぼろげ)なる光景(※ここでは、不確かな出来事という意味です。)を思うほど、あなたがたは真に身近の、あるいはごく些細な物事にこそ、どれほどの“幸”(ありがたさ)があるのかが、今こそ心に深く響くでしょう。

それは、人間界で言うところの“家族”かもしれません。日常関わり合う近しき人々かもしれません。

わが身(自身)を取り巻く、数々の“支え”が、いつも連綿と相交わり(=連携し)、あなたの日々(日常生活)を滞りなくゆかせているのか(進ませているのか)、あなたがたはもはや芯より(心から)会得(えとく)せねばなりません。

“足元”を見やり、そして、足元こそに最大の心を砕き、人間という生命が生きていくうえので欠かせぬ方策を根底より求めていく、これが人間の真の姿です。

あなたがたは、今後、さらに“気づき”を得るようになります。

世(世の中)の実(じつ)なるに(=実際について)気づき、そして深く広く考え、人類が生き延びるための未曾有(みぞう)の“試行の旅が、これより始まるのです。

父のように、そして母のようにーーーー たとえこの存在に気づかぬとても、われら(神々)は、あなたがたの新たな旅の道程を見やる(見届ける)ことでしょう。」

(熱田神宮⑧へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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