昔のがん。今のがん。

母の父――じいちゃんは、
「私が母のお胎の中にいるときに亡くなった」と
聞いたことがある

じいちゃんはある日、すねが痛みだし、
どんどん悪化していったようだ

布団の中でいつも、

「足が痛い」
「足が痛い」

そう言っていた

床に伏しながら、
その様子をノートにしたためていたらしい

それはそれは、達筆だったという

なにせ昔のことだ

病院にさえ行っていないのかもしれない

行ったところで、
きっと何が悪いのかもわからなかっただろう

今のような検査もない時代だ

母は、

「じいちゃんは、きっとがんだったんだよ」

そう言っていた

母は、

「優しいじいちゃんが大好きだった」と言っていた

私もそんなじいちゃんに会ってみたかった

母の母――ばあちゃんが亡くなったのは、
80代の半ば

体調が悪くなり近くの医院に行ったところ、
そのまま入院となったようだった

田舎の医院だ、
当然、詳しい検査もできない

が、ばあちゃんは、
「治療は一切しない」と決めていたらしい

年齢も年齢ではあるが、潔いばあちゃんだ

母は隣町にあるその医院まで、
いつもばあちゃんの様子を見に行っていた

ある日、母がばあちゃんの足をマッサージしていると、
ばあちゃんがこう言った

「足、浮腫んできてるでしょ。もう長くないね」

“足が浮腫みはじめると、死が近い”

と、昔から言われているということを、
私はこのとき初めて母から聞いた

“あと2か月”というのが、
平均的な命の期限らしい

それを裏付けるように、
ばあちゃんはまもなくして死んだ

自然に亡くなったこともあり、
可愛らしいふっくらとした頬で、
安らかな顔だった

「こんなふうに死ねたら、
 理想なのかもしれない」――

ばあちゃんを荼毘に付したとき、
とても時間がかかった

ほかの人たちはとっくに火葬が終わっていたのに、
ばあちゃんはなかなか上がってこない

「きっと、悪いものあるんだよ」

と、母は言っていた

たとえば、がんなど、
なにか悪いものが身体の中にあると、
“そこが燃えない”というのだ

「きっと燃えるまで焼くから、
 時間がかかっているんだよ」

焼きあがったお骨は見るからに、
“焼すぎ”という色をしていた

箸で骨を掴むとバラバラと砕け、
なかなか挟むことができない

親族はみな、

「これは焼きすぎだ」

と言いながら、つかめないお骨を拾っていた

「ほら、見てごらん」

母が私の耳元で囁いた

「ほら、お腹のあたり。黒くなっているでしょ。
 きっとあそこにがんがあったんだよ。
 あそこが燃えなくて、
 こんなに時間がかかったんだよ。
 “悪いところは燃えないで残る”って言うからね」

お腹のあたりに目を遣ると、
確かに色が変わっている

『本当にそんなことがあるのだろうか...』

母が言うには、
じいちゃんもばあちゃんも“がん”だと言っていた

昔のことだ、
きっと検査もなければ病名もわからなかっただろう

“がん”とわかったところで、
治療法もなければ本人に告知もしない時代

きっとこのような人たちが何人もいて、
治療もなく、
痛みに耐えながら亡くなっていったのだろう

『がんは死の病』

そう恐れられていたのもわかる気がする

まさに、
『がん宣告』と言われていたあの時代だ

もし本当に、
じいちゃんとばあちゃんが“がん”だとしたら...

その子どもの母もがん

そして私もがん

...ということになる

“がん家系”という言葉は使いたくないが、
そういうことなのか...

とりあえず、
ここまで進歩したがん治療に感謝である――

  がんと医療の闘いに、
  いつか“終わり”が来るのだろうか

  “完治”という終末が...

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Source: りかこの乳がん体験記

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