東京大神宮には、境内社として「飯富(いいとみ)稲荷神社」がございます。
鳥居入ってすぐ脇の手水舎から階段を上がりますとまもなく拝殿なのですが、こちらのお社は、手水舎に並んで少し高いところにあるため、拝殿めがけて行かれると、もしかしたら通り過ぎてしまうかもしれません。
御祭神は“稲荷大神”と“大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)”です。
“飯富”という名前も良い響きがありますね。“衣食住、商売繁昌、家業繁栄の神”として古くより信仰される神社だそうです。
また、古来有名な歌舞伎役者も篤(あつ)い信仰を寄せていたことから、芸能にもゆかりの深い神社ということで、芸能を志す方々の参拝も絶えないそうです。
そういえば、先頃わたくしがお参りした際にも、現在多方面で活躍されている歌舞伎役者が、こちらの境内とともに写ったポスターが目立つ位置に張り出されておりました。
本日は、飯富稲荷の神よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「人には、誰しも“誇り”があります。それは幼子(おさなご)とて同じこと。損得や、形あるものではけして測れぬ、高潔なる自尊心が備わっております。
それらは、他(他人・周囲)からは余分なる“見栄”と捉(とら)えられるかもしれません。
ですが、他には認められ(受け入れられ)はしないけれども、その気丈なる精神こそが、ときとして人を生かすのです(※ここでは存続させる、という意味です)。
では、その誇りとは一体何か。
これは、自らが、遠い過去に生きた先人たちより脈々と連なる、正統なる存在であることで、それら数多(あまた)の先祖、あるいは神々を御前にして“恥じぬ生き方”であるかを、自らの指標(礎)とする生き方です。
“恥じぬ生き方”ーーー
これは、ときに誠に愚直なる様相かもしれません。
今や、社会全体のあらゆる場面で、既存の概念(風習・価値観)は否(=悪)とされ、様々な既存(概念)が崩されております。
悪しき慣習は無論、改めていくべきものでもありますが、人が人としてあるべき姿を追い求める、それすらも、今やはたしてどの光景に見い出すことができるでしょうか。
自由意思により成り立つ世でもあるこの地球においては、究極は、人それぞれの自制心や是非(良いことと悪いこと)を見定める意気(=意思・心がけ)が欠かせません。
そして、自らの命がなお脈々と受け継がれし崇高なる血統(※ここでは、御先祖様より命が引き継がれていることを指します。)を、いつなんどきも(=どんなことをするにも)己の戒めとし、益々心を鼓舞していかねばなりません。
“恥じぬ”とは、一体誰に対し恥じぬのか、それを自ら常に見い出していくことが肝要です。
人によって、あるいは状況(=人生の折々)によって、その由縁(=恥じぬ対象)は異なるでしょう。
無論それで良いのです。
ですが、いずれの人も、己の命を支えるために数えきれぬほどの御霊、そして逢いはせずとも(あなたを支える)人々(の存在)が有るならば、あなたはたとえいかなる場(あるいは時)であれ、偽り無き真心(=誠心)によって明るく高潔に生きることは、あなたがたすべての者の“責務”です。
究極には、人(他人)が、あるいはこの世(社会)が、あなたを育(はぐく)み生かすのではありません。
むしろ、それほどに大切にこの世に降ろされしあなたは、この世のあらゆる状況さえも自らの生きる“糧”と創り成し、あなたが自らをどこまでも高みに押し上げ(=向上・成長させて)、そして大いに(自分自身を)生かすのです。
さぁ、逃げも隠れもせぬ、真実の自らの生き方を体現し試みる場が、この地球という大舞台です。
人間であることは、生命を維持することに基礎をおき、そしてなお人間こその観念を大いに用いて(=活用し)、自らの(人生の)“原動力”とする、実に精巧なる生命の証です。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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