神の詩 序章11

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神の詩 序章11

神の詩「バガヴァッド。ギーター」を読み解いていく前の
事前知識の続きがもう少し続きます。

いま
世の中には
毎日毎日たくさんの本が誕生します。

ほとんどの本は
数年で絶版になります。

そんな中で
千年を超える年月を
尊敬と共に
読まれ続けた本が
あります。

それらは
読む価値があるから
時代を超えることが出来るのです。

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国を分割
パーンダヴァ兄弟たちが生きていて、
ドラウパディーと結婚し、
血縁によって強国との同盟を結んだという知らせは、
ドリタラーシュトラ王の耳にも入ります。

ドゥルヨーダナは、
パーンダヴァ兄弟と戦うことを主張しますが、
ビーシュマが彼らに公正に半分に分割するように提言し、
ドリタラーシュトラ王はその助言を受けて
パーンダヴァ5人兄弟たちとカウラヴァ100人兄弟たちそれぞれに土地を分け与えました。

王は
自分の息子カウラヴァ兄弟たち可愛さに、
パーンダヴァ兄弟には最もすさんだ荒野を与えました。

パーンダヴァ5人兄弟の国の繁栄
パーンダヴァ5人兄弟の国インドラプラスタ(現在のデリー近郊)は、
荒野を開拓し、
立派な都市を作り、
兄弟たちの功績によって栄えていきました。

そして
長男のユディシティラが国王に就任。

パーンダヴァ5人兄弟の宮殿は、偉大な建築家によって造られました。
その様子を見て、
カウラヴァ100人兄弟の長男ドゥルヨーダナが激しく嫉妬しました。
そして、
パーンダヴァ5人兄弟の国を潰す計画を立てました。

カウラヴァ100人兄弟たちによる罠
パーンダヴァ5人兄弟の長男のユディシティラの唯一の欠点は、
真っ直ぐ過ぎる性格でした。

当時のクシャトリヤ階級では、
誰かが戦いを申し込んだ場合、
逃げることは弱者とされていたのです。

カウラヴァ100人兄弟の長男ドゥルヨーダナが、
ユディシティラに対して博打を仕掛けました。

それはイカサマ賭博でした。

ドゥルヨーダナは、
盲目の王に次のような手紙を出すように言いました。
「お前たちは皆私の子供たちだ。ここに来て一同が集まり、サイコロ遊びで楽しいひと時を過ごそうではないか。」

それを知らないユディシラは、
サイコロ遊びにやってきました。

そして
ドゥルヨーダナは、
賭けを提案し、
ユディシラはその賭けを強者の証として逃げることなく引き受けたのです。

そして、
ユディシティラは罠にあっさりとはまってしまいました。

このイカサマ賭博によって、
パーンダヴァ兄弟は
すべての財産と国土を失ない、
国王の妻ドラウパディーは奴隷扱いされました。

このイカサマ賭博とは、
地上(マーヤ:幻想)における物質至上主義的な行為
人間社会における神の摂理に反する行いを象徴しています。

いまや政治の世界でも、経済の世界でも、身近な所でも
この「イカサマ賭博」が横行しています。

退廃的な種類の娯楽や虚飾の世界で地上での時間を費やしてしまうことで、
どれだけ貴重な人生を無駄にしてしまうことでしょう。
徳の高いユディシラでさえ、
この地上の誘惑に引き寄せられていったのです。

一日のほんのわずかな時間も瞑想などの自分の霊性を高める時間が無いといいながら、ゲームをしたり、テレビを見たり、SNSに没頭する時間なら、たくさんある人が多いのではないでしょうか。

パーンダヴァ5人兄弟の追放
その後、
ドリタラーシュトラ王の仲裁によって、
今回の賭博で失った王国はユディシュティラに返還されて、ドラウパディーの望みにより五王子の身も自由となりました。
この仲裁によって、パーンダヴァ兄弟からの報復を恐れたドゥルヨーダナは、
再度イカサマ賭博を仕掛けます。

これもイカサマであるために、
ユディシュティラは再び賭けに負けてしまいました。

その結果、
パーンダヴァ5人兄弟は12年間もの期間を国外追放となり、
森の中での生活を強いられました。
さらにその後1年間の謹慎処分が科せられました。

この間、
パーンダヴァ兄弟たちは、
精神修養を行い、
多くの功績を積み重ねていきました。

「マハーバーラタ」で出てくる森の中とは、
自然界の森であると同時に、精神世界の中のことを意味しています。

そのため森の一部にはバラモンの行者たちがいて、
さらに奥には聖仙たちばかり出てきます。

聖仙たちは森の中をよく知り、
ヴェーダを学ぶ人たちのために、
森の中に安全な場所を創りました。

森の中への追放は、
物質世界に囚われた人から見れば悲劇であっても、
神を信仰する者にとっては貴重な経験となります。

森の中での生活や探索は
内観や瞑想体験の象徴です。

この物語では、
パーンダヴァ兄弟たちは、森で生まれ、自然界で過ごす時間も多くありました。
一方で、
カウラヴァ兄弟たちは、人工的な宮殿で生まれて、一生人工的な場所だけで暮らしているのが対照的です。

しかもカウラヴァ兄弟たちは、
生まれてすぐに切り分けられて
ギーの中に二年間詰められていました。

ギーは、
牛から恵まれた自然なものを
人が人用に加工したもの。
つまり
完全な人工的な環境で純粋培養(隔離)されて
育ったことを意味します。
切り分けられた一番大きな意味は
利己主義の欲望がたくさんの
悪しきものに広がる様子を示していますが、
それと共に
個性を活かさない均一な幼児教育を受けさせたことも象徴しています。

現代でも社会が行う社会のための幼児教育は
神の御心に沿ったものではありません。

社会化のための幼児教育は、
本来の教育とは言えず、
大人になってからも
多大な影響を及ぼします。
人生最初の二年間で習ったことは
人生に大きな影響を与えます。

日本では「三つ子の魂百まで」ということわざで、表現されています。

12年間とは、
地上の時間としての12年間とさまざまな周期の単位の象徴としての意味が重ねてあります。
人が霊性を高める修行に入り、
肉体と心を物質的な性質から霊的な性質へと完全に入れ替えるための期間を象徴しています。

一度身についた物質的な性質を霊的性質へ、悪しき性質を神聖な性質へと変容するには、
時間がかかります。

その後の追加の1年間は、熟成・安定させるための期間です。
蛹から出てきたばかりの蝶が、
飛び立つまでにしばらくの時間が必要ですが、
それと同じように移行した直後には安定する期間が必要なのです。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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