“医者は、病気を治してくれる偉い人”――
・・・だと思っていた
いや、昔は偉かった
子どもの頃、
医者の目の前にある丸椅子に腰かけると、
何も言えなかった
どこが痛いのか、何が具合悪いのか、
正直に伝えられなかった
言えば、
なにか返されるとビクビクしていた
実際、医者の言動に関しては、
色々な話が上がっていたのも事実だ
たとえば、
「風邪ひいたみたいなんですけど...」
と、言うと、
「風邪かどうかは、こっちが決めることだ」
...的な――
そんな“医者”に対してのイメージが大きく変わったのは、
乳がんになってから
大きな病院での初診時、
医師自ら挨拶はしてくれるし、
上からの物言いはしない
なにより驚いたのは、
“治療の選択肢は患者にある”
ということ
なんでも医者の言いなりになる時代は、
いつの間にか終わっていたのだ
そして、
“医者は、病気を治すだけではない”
ということにも驚かされた
それは、“がん”という長い闘いに於いての、
患者自身の人生との向き合い方も加味しての治療だ
“患者に与えるだけの治療”ではなく、
“ともに闘う医療”
『医師も看護師も放射線技師も薬剤師も、
理学療法士も管理栄養士も、
みんな一緒にがんと向きあう、闘ってゆく』
その姿勢に驚いたのだ
が、やはり心ない医者はいるもので...
私が手術を終え、3日目くらいだっただろうか
毎朝の回診前、
看護師さんが患者一人一人を回って、
「気になるところはないか」
「不安なことはないか」
など事前に聴き取り、
回診時、医師に伝えることになっていた
私は腋窩リンパ節郭清の影響を自覚しはじめた頃で、
左腕の皮膚の感覚が麻痺していた
(腕が上がらないのは、
術後すぐからだったのだが)
そしてその日の回診は、
私が苦手な医師だった
看護師さんが、
「左腕が感覚がなく、ピリピリするそうです」
と、医師に伝えた
別に、医師に伝えてほしかったわけではない
ただ、朝、看護師さんに、
「気になることとかありますか?」と、
聞かれたので、それに答えただけなのだ
すると医師は、
「あー、それね。治らないよ」
そう言い切った
「え?」
と、思った
いや、きっと治らないのだろう
乳がん告知を受けてから、いろいろ調べた
主治医にも、
「腕が上げづらくなるから、リハビリしてね」
そう言われてはいた
が、主治医でもない医者に、
はっきり「治らない」と言われたのだ
手術から3日
これからのことも不安でいっぱい
そこでいきなり、希望を挫くのか...
が、さすがに医師も、「マズい」と思ったのか、
「あー、それね。治らないよ」
のあと、すぐに、
「しばらくは...」
と、つけ加えた
が、遅い
いや、言い方自体、問題があるだろう
都会から来た、
そこそこ名の知られた医師だった
地方をバカにしているような人間だったから
仕方がないのか...
翌日の回診では、もっと偉い先生が来た
引き連れてきた研修医たちに、
ドイツ語で何か教えている
私はその様子に、さらに委縮した
するとその偉い先生は、私に、
「腕、上がらない?
今は上がらないだろうけど、
きちんとリハビリしてね」
と、優しい笑顔で、
肩を回すアクションをつけながら
こう言ってくれたのだ
涙が出そうだった
『“医者”は、病気を治すだけじゃない
心も、患者の人生も、
すべて見て(診て)くれるのが本当の医者だ』
そう思った
あれから14年――
「あー、それね。治らないよ」
と言われた通り、治ってはいない
もちろん、当時から“治る”なんて
思ってはいなかったが...
今日の夕暮れ
東の空が、あまりにも美しくて...
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Source: りかこの乳がん体験記
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