白山神社の境内社の一つが、今回ご紹介する「八幡神社」です。
社殿向かって左前方にある御神木の“白旗桜”と、社殿前の両脇に所せましと植えられた樹木も兼ねて “一群”という印象で、小規模ながら本殿に劣らぬ堂々たる風格です。
白山神社の以前に、八幡神社が地主神としてすでに祀られていたそうです。
境内では沢山の植物が見られます。ちょうど今の時期、6月中頃には“白山あじさいまつり”が開催されるようです。
その他の季節も、折々に咲く花を愛でることができる見どころの多い神社です。皆様も機会がございましたら是非行かれてみてください。
本日は、八幡の神よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「“足並みが揃う”ーーー 少なくとも無知(=無思考)なるままに、この言葉が適う(=物事に適用できる)ことはないだろう。
この世に生きるとは、互いの生き様有りてこそ(=互いの生き方が関わってこそ)であり、その意味では(足並みが揃う、というより)“足並みを揃える”、いわば、共に(協調し)歩むという意志(気構え)が何より欠かせない。
今も、そして未来に至るまで続く、より良き世を望むならば、世に降り立つ(=この世を構成する)万人による(より良き世を創るという)意志と、そして目指す(良き世の)領域への“布石(※将来に備えて行う手配り)”を絶えず投じねばならぬ。
しかしながら今、人びとの足並みは悉(ことごと)く乱れる。
心も、そして実(じつ)なる動き(=実際の行動)さえ散り散り(ちりぢり)に彷徨(さまよ)うばかりの世の様は、いかに空しき風(虚無感・疲弊感)が漂うことか。
灯台の高み(※ここでは、高い視点で、という意味です。)より世界を遥かに望み(=見据え)、人々の幸福なるために心血を注ぐ者は、今や(人々の)足並み乱れるそのさなかにあって(それでも)なお自らの人生を賭けていく。
この辛苦は、途方もなき茨(いばら)道のごとし。
より良き世へと突き進むべく、人々の心が軌を一にするならば、その(人々の)眼差しこそ、何よりも固き(=強固な)、前進への誘(いざな)い(=導き手)となるだろう。
われら(神々)は望む。
世に生きることを、協同の業(わざ=おこない)として一心同体(=共同体)と捉(とら)え、人の真実の心に語る(=訴える)賢者を。
そして、諸人(もろびと)の宿命さえわが命(使命)として背負い、いよいよ(=益々)力強く世を翔ける、勇者の出現を。」
(次回は④王子神社 となります。)
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Source: 神々からのメッセージ
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