新薬の治験の現実とワクチンと

岩田教授の2018年11月の時点での話。

ある新薬が登場した時、製薬企業の人が説明に来て「こんなに良いことがあって、臨床試験はこうで、こんなデータもありますよ」と自信満々で言ってきました。僕は「たくさんのデータには一切興味がなく、今存在しないことに興味がある」と伝えましたが、分かってくれません。新薬を開発する最終段階では臨床第三相試験を実施してデータを出しますが、対象の患者は、肝機能、腎機能、心臓機能も正常で、併用の薬もなく、基礎疾患もなく、服薬管理も完璧で、決まった日にちゃんと病院へ来てくれるという、超エリート集 団での話。言い換えれば、超エリート集団に投与してみた結果しかまだ分からないわけです。

 僕が知りたいのは、現場で普段診ている、腎臓も肝臓も悪くて、飲んでいる薬もたくさんあって、病院には時々来なくて、という人に使ったらどうか、であり、新薬上市の時点ではデータが全くありません。相互作用とか、副作用などの情報はゼロです。でも臨床医として気にしなければいけない問題はそこなので、「まだデータがないところに注目しているから、現時点でこの新薬を使う気はありませんよ」、と伝える。でもMRさんは「こんなデータもあって、こんな試験結果も出て、先生知らないでしょ」と言って、全然分かってくれませんでした(笑)。

 実際この新薬では、上市から2年くらい経て知られていなかった副作用が問題になり、使っていた先生方はあたふたしてしまった。僕は最初から使っていなかったから困らない。2年もすれば知られていない副作用が出てきそうだなと予見していたからです。

 ご紹介したのは洞察の結果「使わない」と判断した一例にすぎません。限られた情報の中で、「慎重に使う」という判断を下す場合もあるでしょう。ただ、洞察がなければ、知識の量がたくさん積み上がっても薬は使いこなせません。知性というのはそういうものだと思っています。自分が知らないことへの自覚として「ここらへんが分かっていないんだな」という境界線が見えれば、新薬に関する論文の一つや二つに惑わされることはない。知っている知識が全てだと思っていると、「数年後にこういうことが起きるかもしれない」ということに対して無防備に、そして無自覚になってしまう。そういう危険を冒したくないと、常々思っています。

武漢コロナウイルスのワクチンも同様で、、

数年後にどうなるってのは、、誰にも分らない。

その利用は個人の判断です。
PCR検査の増幅「Ct値」操作での検査陽性者数の割り増し、、

重症者病床を用意しないことでの医療逼迫の演出。

超過死亡はマイナスの現実。

イベルメクチン等の有効な既存薬は使わせない。

それらは「WHO展開の世界的ワクチンビジネスショー」と観点で観れば見えてくる構造です。

正しい間違っているではなく、、

ビジネス(金儲け)としてコントロールされているんでしょうね。

取り敢えずこの辺で。
※2つのランキングクリック宜しく。


癒し・ヒーリングランキング

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村


Source: 身体軸ラボ シーズン2

コメント

タイトルとURLをコピーしました