神の詩 第二章第十八~二十一節 4

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神の詩 第二章第十八~二十一節

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「この肉体は有限であると言われるが、ここに宿る者(アートマン)は永遠・不滅で無限である。だから戦え、アルジュナよ。(十八)」
「アートマン(真我)を殺害者と考える者も、殺されると考える者も、どちらも無智で
ある。アートマンは殺すことも殺されることもない。(一九)」
「アートマンは生まれることも、死ぬこともない。始まりも、終わりもない。不生・永
遠・不変であり、太古から存在する。肉体が殺されても、アートマンは殺されない。
(二十)」
「アルジュナよ、アートマンは不滅・永遠・不生・不変であると知る者は、誰かを殺し
たり、誰かに殺されたりすることができようか。(二十一)」

続きです。

神話というものは、
読み手が自分とは関係ない外の世界、
太古の世界の出来事
という勘違いをしてしまうことがよくあります。

そのため、
非暴力であるはずのクリシュナが、
戦いなさい
と言います。

ここで再度、
これはどういう意味なのかを
読み手がわかるように
確認させられるのです。

ここには
二つの提言があります。

「自分の心の中の悪しき部分と徹底して戦い、滅すること。」

「物質世界においても、刹那的なものと永遠なるものを理解して、悪しきこと悪しき者にたいして毅然とした態度をとること」

この
戦う
という言葉については
あとの章で再び説いていきます。

「アートマン(真我・神)は不滅・永遠・不生・不変であると知る者は、誰かを殺したり、誰かに殺されたりすることができようか。」

山に登る時なら、
まず
その山の山頂の姿は
事前に見ておきます。

山のだいたいの標高も
確認するでしょう。

それにより
自分はどこに向かっているのか、
どこを目指して歩いているのか
を把握するのです。

目的地も無く歩けば道に迷います。

同じように
霊性の道では
常に神に向かうために、
神という山頂のイメージをしておきます。

神という山頂があることを理解し、
神を目指して歩いていけば、
道に迷うことは無くなります。

ここで
クリシュナが不滅の話をしたのも、
神への道を明確にするためです。

「主の山に登るべき者は誰か。その聖なる山頂に立つべき者は誰か。手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、偽って誓わない者こそ、その人である。」詩篇24:3-4
「私の心が崩れ落ちてしまう時、私は地の果てからあなたを呼びます。私には及び難い高くそびえる岩の上に私を導いてください。」詩篇61-2


続きます。

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「着眼大局、着手小局」という禅の言葉があります。
視野の広い大きな眼で見て、それを達成するために一歩一歩出来ることから地道に実践していくという意味があります。これ以外の目的地に到達する方法はありません。山で言えば、お金持ちでも、頭が良くても、誰もが平等に自分の足で山頂まで一歩ずつ歩いて登らなければならないのです。

人は、深い意識の中で、誰もが神との一体感を望む強い願いを持っています。地上の喧騒の中でその願いを忘れていても、それは消えることなく眠っています。

クリシュナは、その強い思いを目覚めさせるために、まず不滅のアートマン(真我)について完璧なタイミングで説明しています。
アートマンに対する説明は、早すぎても遅すぎても、理解に至らなかったり、誤解を生じる危険性があります。霊性進化の門に入った直後が最適であり、そのずっと前でも、ずっと後でもありません。
初めて山に入った人は、最初は、標識に頼ります。山にはたくさんの道があり、どの道が山頂へと続く道なのかを知らないからです。でも最初に山頂について知り、道標があれば、迷いもなく求めている道に向かい、専念することが出来るのです。
この先クリシュナは、アルジュナに叡智の道を説いていきます。それは山のガイドさんが、これから歩いていく山頂までの道筋の概略を示すのと同じことです。
「門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。」詩編第二十四章7-8
また聖書には、次のような言葉もあります。
「よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう。」
これは肉体的に死なないという意味ではありません。人がわたしの言葉を守るならば(人がキリスト意識に達したならば)、いつまでも死を見ることがないであろう(無智の眠りから永遠の生命に目覚めるであろう)という意味になります。

「我々に「死」などない。ただ住む世界を変えるだけだ。」シアトル、北米ドウォミッシュ族

「人が使い古した衣服を捨てて、新しい衣服を着るように、肉体に宿る者は使い古した肉体を捨てて、他の新しい肉体に宿る。(二十二)」

ここで再度、輪廻転生について明確にしています。肉体的な「死」の間違った固定観念を払拭するために、とてもわかりやすい喩えをしています。
地上では、個々の魂が分離する特殊な環境において、様々な精神階層の魂が肉体という共通媒体を纏います。そこでさまざまな体験をすることで、他では得られない程の魂の成長する機会が生まれます。

地上での肉体は、学校で学ぶ時に


Source: ひかたま(光の魂たち)

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