神の詩 第二章第二十七節
「生まれた者は必ず死ぬ。死んだ者は必ず生まれる。だから、汝はこの避けられないことを嘆くべきではない。(二十七)」
この世界で、
いまだかつて
肉体の死のない命など
存在していません。
いまだかつて
肉体の死のない命など
存在していません。
この物質世界に生まれた瞬間から、
いずれ
死ぬことは運命づけられています。
それは当たり前のことのため、
誰も
人は死ぬのか死なないのか
という疑問すら起こりません。
浄土真宗で七高僧の第一祖とされる紀元21世紀のインドの高僧である龍樹(ナーガールジュナ師)は、つぎのように語ったとされています。
「命は、千の病気という雪片に揺らめき、流水に発生する泡よりも壊れやすい。」
「寝ている時は穏やかに息を吐き、吸っているが、生きて目が覚めるかどうかはわからないこと。」
死は、
いずれ
誰にでも
適切な時期に突然やってくるもの。
いずれ
誰にでも
適切な時期に突然やってくるもの。
どんなにお金持ちでも、
どんなに強大な権力を持っていても、
どんなに強い戦士であっても、
死に対しては避けることが出来ません。
悟りを開いた偉大な聖賢たちであっても、
肉体の死を避けることはありません。
道元禅師の
「正法眼蔵」の「生死の巻」に
薪と灰の話があります。
「正法眼蔵」の「生死の巻」に
薪と灰の話があります。
「薪は灰になる。さらに返りて、薪となるべきにあらず。薪は薪の法位に住してさきありのちあり。前後ありといえども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり」
薪を燃やせば、
いずれ
すべてが灰になります。
いずれ
すべてが灰になります。
それが一般的な見方、考え方です。
でも
そのような考え方は捨て去り、
薪は薪としての存在であり、
灰は灰としての存在と見るのです。
薪と灰は、
違うステージの存在であり、
繋げて考えることは無いのです。
違うステージの存在であり、
繋げて考えることは無いのです。
人は生まれたら、
やがて病気になり、
死んでしまう存在です。
やがて病気になり、
死んでしまう存在です。
でも
やがて病気になることや
死に至ることを
今から嘆いても意味はありません。
今この瞬間を大切に、
感謝の気持ちを込めて
生きることだけで充分だという内容です。
人が生まれてくる理由は一つです。
人は、
偶然地球に生まれてくることなどありません。
偶然地球に生まれてくることなどありません。
明確な目的を持って、
地上に下りてきて、
そのことを忘れてしまっています。
続きます。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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