神の詩 第三章第三節 2

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神の詩 第三章第三節

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スリー・クリシュナ
「アルジュナ(穢れなき者)よ、この世には二つの道があると、私は初めに述べた。思索を好む者には知識の道(ジュニャーナ・ヨーガ)があり、実践を好む者には行動の道(カルマ・ヨーガ)がある。(三)」

続きです。

マハサヤ大師は、
社会にいて義務を果たしながら、
解脱する道を築いたのです。

人は、
社会から受けている恩恵と、
社会に対する義務を
理解する必要があります。

社会は、
人がただ集まるだけの集団ではなく、
喜怒哀楽を分かち合いながら、
お互いを思いやり、
真心を持って
社会活動に奉仕することを通して、
すべての人の中に内在する真我を認めていく役割があります。

社会集団には、
無数の誘惑や利己心を増幅させる要因が多くありますが、
崇高な目的を意識できれば、
社会的活動は
有意義な霊性修行の場となります。

私たちは
誰でも真我の探求者です。

智慧を獲得する知性は
真理を認識し、
行動による勇気は
真の愛を認識します。

どちらも別々の道ではなく、
ほとんどの人で
各自が人生の各ステージにおいて、
どちらを優勢にするかという差になります。

どれを優勢にするにせよ、
大切なことは
真我を求める
強い願いです。

ヴェーダにおいては、人生のステージを段階に分けています。

第一段階 ブラフマチャーリヤ・アーシュラマ
学びを主体とする時期。人生最初の24年間です。

第二段階 グラハスタ・アーシュラマ
伴侶を選び、家庭を持ち、仕事をして家族を養う時期。

第三段階 ヴァーナプラスタ・アーシュラマ
子供が独立し、結婚生活は続けるものの、夫婦関係は友人関係のようになり充実した活動を行う時期

第四段階 サンニャーサ・アーシュラマ
引退し、すべての義務から解放され、知識の追求に専念できる時期。

これら各時期に適したヨーガがあります。

アルジュナの場合には、
知識を追求したいものの、
今の自分の立場を放棄することはできません。

そこで
知識を追求しながら、
カルマ・ヨーガを行うことになります。

カルマとカルマ・ヨーガの違いは、
崇高な目的意識にあります。

カルマは
単に行為をする者
ということになります。

一方、
アルジュナの場合には
解脱したいという強い願いがありますので、
その願いに沿って行為を行う場合には、
カルマ・ヨーガとなります。
すべての行為に神聖さが要求されるからです。

続きます。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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