神の詩 第三章第九節 2

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神の詩 第三章第九節

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「この世は祭祀のための行動以外の行動に束縛されている。だから、アルジュナよ、執着を捨てて、祭祀のためにのみ熱心に行動せよ。(九)」
「心神思想」

神々は
宇宙に存在するだけでなく、
私たち一人一人の心の中にも在る
ということです。

これらの思いを日々思うだけでなく、
神聖な気持ちで
体認していくために
祭祀が行われているのです。
「この世は祭祀のための行動以外の行動に束縛されている。」

祭祀の習慣を大切にする日本人でも、
近年の個人主義思想が浸透してきた現代社会では、
命の繋がりよりも、
個人の主張が強くなり、
利己的な行動が目立つようになりました。

そして
祭祀を軽視する風潮も生まれています。

例えば、
新嘗祭は勤労感謝の日に改定されました。

新嘗祭は、
はるか神代の時代から受け継いできた
「命の繋がり」を大切にする御神事ですが、
勤労感謝の日は、
個人の労働に対する感謝の日となっています。

こうして、
本来の心から離れた社会生活になると、
すべての命の繋がりやすべてを創った創造主との繋がりを
忘れてしまいがちになってしまいます。

人や物やあらゆる現象の背後に存在する
本当に大切な本性が
見えなくなっているのです。

占いが流行しています。
本来
「うらない」
とは
「ト相ひ」。

ト(うら)とは
心であり、
命です。

自分の真我と創造主である神を合わせることによって
神の御心を伺う行為
を意味していました。

古代から大切に受け継いできた精神を忘れないように、
いにしえの大師は、
「君が代」
という三十二文字の真言を
下ろしてきました。

君が代も
このバガヴァッド・ギーターと同様に、
頭で考えただけで理解できるものではなく、
瞑想と神の摂理に沿った行動によって、
初めて
理解できるものです。

知識で知るというよりは、
智慧で味わうという方が
正しい表現かもしれません。

「祭祀のための行動」

心の在り方次第で、
日常生活のすべてが
祭祀のための行動になります。

「古事記」には、
天照大御神が営田(新嘗祭のための田んぼ)で
稲作を行う様子が描かれています。

営田は
日常の場の象徴でもあり、
農作業は
行動の象徴でもあります。

天照大御神は
私たち一人一人の心の中にも存在しますから、
日常のすべての行いが
祭祀であり御神事である
との認識で行動すると良いでしょう。

祭祀の心は、
高次の力や自然界の力を味方につけることを意味し、
人の進化の流れを推進させる力を与えてくれます。

「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御心であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」ローマ人への手紙第十二章1-2
「毎日、何をしている時であっても聖なる祭祀に則って生活している。その一つ一つが些細な事であっても、その積み重ねが私たちの生活を築きあげているのだ。」イエローテイル、北米クロウ族

次は

「アルジュナよ、
はじめに、ブラジャーパティ(創造神)は祭祀とともに人類を創造して言った。「これ(祭祀)によって繁殖せよ。これが汝等の願いをかなえる乳牛(カーマドゥク)であらんことを。」(十)」
「これによって神々を慈しめ。そうすれば、神々も汝等を慈しむだろう。互いを慈しんでいれば、汝等は最高の幸せを得るだろう。(十一)」
「祭祀によって慈しみを受けた神々は、汝等が望む喜びを授けるだろう。神々を供養しないで神々の恩恵を受ける者は、盗賊に他ならない。(十二)」

追いつかない人が増えてきたので
一旦
休憩しましょうか。



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Source: ひかたま(光の魂たち)

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