終戦記念の日に寄せて④最終回【生き残り兵士の悔恨(4)】

その他

(前回 よりの続きです。 )

すでにお話ししたとおり、わたくしは戦地にて物資などを調達・供給する部隊に配属されました。

日ごと調達の難しさは増していくばかりで、そこでは様々な工面(=工夫)が必要となります。

物品の管理なども、(人手不足もあり)一手に任されるようになり、様々な階級の兵士たちの状況を把握するなかで、わたくしは自ずと従軍していた者たちの様子を記憶するようになったのです。

復員してのちも、“〇〇兵には、この度の物資の配給〇個!”などと声を上げて点呼している自分の姿を(就寝中の)夢で幾度もみました。

戦後、わたくしはひょんなことから、すでに戦死した兵士の遺族と巡り会う機会がありまして、その際(戦死した)彼の戦地での様子についてを語りました。

戦地では実際どのような立場で従軍していたのか、どのような姿で朋友と過ごしていたのか。

そして、死期をすでに予期した彼は、死の前日いかに過ごしていたのか ーーー

けして大袈裟ではなく、本当にまだ若い青年ならではの純朴な姿を、ありのままに伝えました。

“真実を知りたい”ーーー

これもまた、わたくしたち人間が求める欲求です。

過酷な戦地でどのように命果てたとも分からぬ我が子の最期の姿を、せめて知りたいと願っている家族は、今(この時代)でもきっとあるに違いありません。

日々劣勢に傾く戦地を垣間見たその当事者の一人のわたくしには、この真実を伝える“役目”があるーーー

“戦争で生き残った弱い人間”との烙印(らくいん)を自らに押し、生きる希望すら失っていたわたくしに、一つの燈火(ともしび)が灯(とも)った瞬間でした。

一人ひとりのことを、飾らずそのままを伝える。朋友の息づかいまであたかも聴こえるがごとくに、ごく他愛ないことも交えて遺族の方々へ丁寧に伝えてまいりました。

(戦死した)我が子のことを一日たりとも忘れずに、想い焦がれて日々を過ごす親御さんは、すでに皺(しわ)が深く刻まれたその手で、幾度も幾度も手を合わせ・・・そしてむせび泣くのです。

戦争の記憶を背負って生きていくのは確かに辛い。何をどう生きるにも、その暗く重たい“影”がつきまとうゆえです。

その意味では、わたくしにとっては、戦後どれほど時が経とうと、己に内在する“戦争”はけして終わりはしません。

(沈黙ののち、少々笑みを浮かべました。)

戦争真っ只中で勇敢に逝(い)った魂は、“名誉の戦死”として讃えられます。

そして、戦後なお真実を語り継ぐことで戦争という記憶に生き続け、そしてやがて死を迎えたわたくしもまた、彼らと同様に、“名誉の死を遂げた者”であると、あなたがたは思っていただけますね?」

以上

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Source: 神々からのメッセージ

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