あなたは余命を知りたいですか。

“余命”――

  残りの命。
  死ぬまでの年月。

がんになると、
否が応でも考えさzせられる“余命”

今、私の周囲に、
余命を告知された人がいる

私は昔、
「余命は知りたい」

そう思っていた

が、これまで
たくさんの仲間の死に触れ、
また、母をがんで亡くしたことで
考え方が変わってきた

というより、
たぶん最後まで、

「知りたい」
「いや、知りたくない」

と、気持ちは揺れるのかもしれない

余命を知っていれば、
その間、好きなことをしようと思う

目標を達成しようと思う

やり残していたことを
終わらせようとも思う

その分、
中身の濃い人生を送れるのかもしれない

が、自分の命の期限を聞かされることは
きっと耐え難い悲しみなのだと思う

私の母は、
母本人には余命は伝えられなかった

医師から直接告げられたのは、
父と私

遠い街に住む妹には
あとで連絡をした形だ

母に隠し通すということは、
ときに
感情を押し殺さなければならない、
つらいことでもあった

「先生は、
 なぜ母に伝えなかったのだろう.」

と、今になって思う

母は、直接、先生に、

「(私の命)あとどれくらい?
 1か月?」

そう聞いたらしい

先生は、

「いやいやいやいや」

と、

「全くそんなことはないですよ」という
反応だったそうだ

このとき、実際に
医師から告げられた母の余命は2か月

母自身、なんとなく
命の期限が迫っているのを
感じていてはいたようだ

「これだけは、なんとか成功させたい」

と、大きな仕事もやり遂げた

あのとき、
もし母が余命を告げられていたら――

たぶん、家族としては
最期までの時間が、
よりつらいものになったかもしれない

隠し通したことで、
母の無駄な涙を見ずに済んだ

「まだ生きる。
 がんを治す」

最期までそう言っていた母

余命を告知されたとしたら、
その希望まで
母から奪っていたかもしれない

ひとは、いつか必ず死ぬ

なのに、がんになって、
初めて死を強く意識する

これまで考えたことのない、
“余命”と直面するのだ

命の期限を知るより
知らないままの方が、
楽に生きられるのだろうか

それとも期限を知って、
その中で後悔のないよう、
生き尽くす方がいいのだろうか

いくつもの仲間の死と母の死に直面しても、
こればかりは、
なんとも結論が出ないものである

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Source: りかこの乳がん体験記

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