今年の春先に伺った神社の一つが、埼玉県入間市にございます「熊野神社」です。
それほど大きな境内ではありませんが、整然とした雰囲気は心を落ち着ける場としてもうってつけです。
本殿の御祭神は、伊邪那岐尊、伊邪那美尊のほか、須佐之男尊、速玉之男命、事解之男命で、まさに“熊野系”ともいえる錚々(そうそう)たる神々です。
社伝によりますと、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東夷征伐の際にちょうどこの地で水に苦しんでいたところ、神に導かれて湧水を発見できたことを感謝して創建されたとの言い伝えがあるそうです。
さらにこちらは、本殿のほか、境内社として「稲荷神社」「山ノ神社」も祀られております。
境内で特徴なのは、巨大な杉の木です。市の天然記念物にも指定されており、わたくしもお参りするごとに見上げております。
参拝当日は、春ならではの強風吹き荒れる日でうかつによそ見もできずでしたが、その分、むしろ自分の心に向き合えた気がいたします。
こちらでは、わたくし自身珍しくしばしベンチに腰を下ろし、年明けからの日々を思い返し、ひとり苦悶しておりました。
ようやく気持ちも落ち着き、ではと、本殿へお参りした際にいただいた御言葉です。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
***
「社(やしろ:神社)の大きな(=大切な)役目として、(人間を含めた)万霊への“導き”があります。
すべて、生命たる存在はけして留まる(止まる)ことなく、何かしらの進み(動き・前進)を得てゆかねばならぬゆえです。
そしてもう一つ、大切なこと(=神社の役目)があります。
それは、“祓(はら)いを司る”という点です。
人間には、日々の歩みのなかで、少なからずの迷いや惑い(戸惑い)を抱くことでしょう。
あるいは、昨今に見られるような、世の大きな変動のなかで生きることの、そこはかとなき不安も、生じては消え、消えてはまたさらに大きく生じる、と繰り返してまいります。
そういった、人間(の性質)であるがゆえに、得てして抱くべき、虚(うつ)ろなる心を、祓い除(よ)けるがため、社(=境内という神域)は在ります。
無論、人生の節目にあたって、晴れやかなる気持ちで、より良き人生をと願う(祈願する)のも良いでしょう。
ですがそれ以上に、われら(神々)は、常に、民らのそのつぶさなる(日常の)生きざまこそを何より愛(め)で、この地道なる歩みが、少しまた少しと良き兆しを得る、その道のりを見守り、(あなたがたと)共に歩んでまいりたいと願うのです。
ですから、現にあって(=現状)どのように在(あ)ろうが、そのありのままの姿を、われらの社にてさらけ出すが良いでしょう。
飾らず気張らず、素直に思いの丈を述べたならば、やがてはまた一つ、希望の“芽”は生じるものです。」
(次回②稲荷社 です。)
***
※応援して下さる方は、下の2箇所のクリックをしていただけますと、大変励みになります。
■精神世界ランキング
■人気ブログランキング
※ご質問はコメント欄へお寄せください。
内容を拝見し、お答えが可能なものに関しては、順次ブログにて回答を掲載させていただきます。
***
Source: 神々からのメッセージ
コメント