合気道検索してて見つけたのは、、
そこに筋トレ・瞑想マニアが、、
合気道を身につけられる人は性格によりけりだ勝気や短気な我の強い奴は無理
と書いてあった。
まぁ、、
書いている本人がソレに該当しているなーと思いました(笑)
そもそも、、
「合気道を身につける」ってナニヨ??と思います。
とある、氣の合気道の道場に見学に行ったとき、、
「合気って何ですかね?」と尋ねた。
そしたら、、
「私どもは藤平先生の伝えられる合気道を伝えていくだけです」みたいな返事で、、
Q&Aになっていない。
要は、明確に答えられない。
ソレは言葉として伝えられないモノなのか?ですけど、、
結局は、、「合気道とは何か?」という定義は、流派の数、師範の数だけある。
それを、、
合気道を身につけられる人は性格によりけりだ
と言い切るやつは、、相当な達人というコトになる。
それも他流派からしたら「それは合気道ではない」と言われるかもしれない。
で、、
合気道を名乗っていても、、、
「合気」という言葉はほぼ使わない。
「合気」という言葉を使うのは大東流合気柔術系です。
何故に合気道に「合気」が無いかと言うと、、
大東流合気柔術の開祖と言われる武田惣角氏が、、
「植芝は合気がわかっていない」と言っていたと言われている。
元々、大東流合気柔術武田惣角氏の弟子だった植芝氏が、、
破門か独立して一派を成したのが合気道で、、、
合気道という名付け親は、、
大本教の「出口王仁三郎」です。
その時の話として、、
出口王仁三郎は「植芝さんのような達人ならワシを倒すのはたやすいじゃろ」と、、
扇子かを持って悠然と立つ出口王仁三郎氏と対峙した植芝盛平氏は、、
一撃も見舞うことが出来ず、その場に昏倒したと言われている。
根本が「合気を掛ける」という部分の大東流合気柔術から、、
「合気」という部分を省いて、円転の動きとして特化発展した合気道。
「合気道を身につける」という表現は、、
一体何を指すんでしょうね???
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2
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