神の詩 第五章第二節 2
スリー・クリシュナ
「行動の放棄も行動の実践も、どちらも至福(解脱)に至る。しかし、この両者の内、行動の実践の方が行動の放棄よりも優れている。(二)」
続きです。
修行の時の意識を向ける方向性として
男性は見えないエネルギーのような何か超越したものを対象にする一方で、
女性はもっと現実的なもの、目の前の身近なものや人に関心を寄せる傾向があります。
男性は見えないエネルギーのような何か超越したものを対象にする一方で、
女性はもっと現実的なもの、目の前の身近なものや人に関心を寄せる傾向があります。
山岳修行を例にして言えば、
男性は「山」を知りたい欲求を持って修行するのに対し、
女性は「山」と共に在りたいという欲求を持って
修行する傾向があります。
男性は「山」を知りたい欲求を持って修行するのに対し、
女性は「山」と共に在りたいという欲求を持って
修行する傾向があります。
このように
男女間に修行方法の差ができてしまうために、
同じカリキュラムでの進行は難しくなります。
男女間に修行方法の差ができてしまうために、
同じカリキュラムでの進行は難しくなります。
これは
今のように男性性と女性性が統合しつつある時代の人には
理解し難いことかもしれませんが、
昔の時代には
男性性と女性性は大きく離れていたのです。
そして
当時のバラモンたちが示した道は、
男性向けであったというのも、
男性だけに限定されていった理由の一つでしょう。
当時のバラモンたちが示した道は、
男性向けであったというのも、
男性だけに限定されていった理由の一つでしょう。
動的なエネルギーの面から見ても、
男性は
女性のように生理によるサイクルから解放されているために、
性的衝動が抑圧なく制御されているのであれば、
男性の身体の方が
性エネルギーを昇華しやすいという長所を持っています。
男性は
女性のように生理によるサイクルから解放されているために、
性的衝動が抑圧なく制御されているのであれば、
男性の身体の方が
性エネルギーを昇華しやすいという長所を持っています。
心的要因では、
内面の女性性と男性性の違いがあります。
内面の女性性と男性性の違いがあります。
女性性が優位な人の場合、
愛することが自然であり、
その性質が
智慧の道を歩み始める時に困難になります。
男性性が優位な人の場合、
愛することは一部分であり、
他の行いと同様に努力が必要となります。
そして、
他のことを遂行するために
愛を犠牲にすることも出来る性質を持っています。
この女性性と男性性は、
男女のことではなく、
内面の性質のことです。
男女のことではなく、
内面の性質のことです。
どちらが優性にしても、
まずは行動の実践を優先する明確な理由があります。
続きます。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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