この国には、患者の権利を守る法律がない。
リビングウィルは、このままでは守られないのが現実だ。
急に意識が落ちて、病院に救急車で運ばれて、
延命処置を受け、一命を取り留めて目が覚めた時。
人工呼吸器に繋がれている自分に気がついた。
自分としては、こうして人工呼吸器に繋がれ生きることは望んでいない。
その考えにグラつくことはない強い意思がある。
しかし恋人や家族は、人工呼吸器に繋がれても生きてほしいと望まれた。
こんな状況の時、運ばれ入院している病院では、
人工呼吸器を止めることは、今の日本では殆どない。
たとえ、人生会議に代わる倫理委員会なるものが開催されたとしても、だ。
そこでの治療が、生を引き延ばすのではなくて、
死を引き延ばすに過ぎない医療であったとしてもだ。
日本の医師は、人工呼吸器を止めることは、ほぼしない。
それは、医師ならこういう治療す『べき』という、
何とも言えない空気があるからだ。そんなパターナリズムの医療は危険だ。
たとえそれを望まない患者が健全な精神を持つ成人だったとしても、だ。
患者の権利を守る法律は、この国にはなく、さらに、
もし患者本人の権利を尊重し、応じた医師が罪に問われない保証もない。
こうして、この国は、リビングウィルなど守れるはずもなく、
人知れず、患者自身の人権などないことに、病気を患った時、
一人孤独に気がつくのだ。
そう言えば、大往生したければ医療にかかわるなっていう書籍もあったなあ。
うちの母なんかは、息子が医者だからこそ、息子を遠ざけ医療を遠ざける道を選んだ。
母は、医療に関わるとリビングウィルが現実に叶えられないことを知っていたのだろう。
そうして彼女は若かったが大往生で、家で最期を迎えたのだが、、、もちろん、検死だった。
ここに本当の尊厳があったかどうかは知る由もない。それでも、、、、
僕は自分の医者人生をかけて向き合うことにした。
医者は『べき』の壁を越えられず、
患者は『べき』の壁に阻まれる。
皆さん、今議論し、どうしても手に入れる『べき』は、
『患者の権利』を勝ち得ることではないでしょうか?
こんな大切なことを医療者だけに任せて議論しててはいけない気がします。
リビングウィルが守れないこの国で、安楽死議論など、はっきり言ってまだ早い。
医療には限界があり、傲ってはいけない。それを常に自覚したい。
医者は神ではなく、神に従うものだ。とどこかの哲学者が言っていた。
まして今は100年に一度の、結局のところのコロナ禍だ。医療の限界を知ろう。
もう一度言う。医者は神ではなく、神に従うものだ。
学びを止めるな。歩みを止めるな。この国が、本当の意味で、
リビングウィルを守れる国になるまで僕は歩みを止めたくない。
人生にあったのは、医療ではなく、やっぱり暮らしだ。
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Source: 兵庫県三田市の在宅療養支援診療所「たなかホームケアクリニック」
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