2008年11月10日(月)
だいぶ“乳がんであること”に
慣れてきたかもしれない
というより、“薄れてきた”
...という方が近いのかな
最近は、
“自分が乳がんだ”ということを
忘れる時間が増えてきた
それは楽しいことがあったり、
副作用が軽くて身体が楽だったり、
いろいろな好条件が
重なり合ったときだけに起こる
現象なのかもしれない
以前、
まゆさんが乳がんの先輩から云われた、
「自分が病気だということを
忘れようなんて無理。
病気であることに“慣れろ”」
この、『慣れろ』という言葉が
なんだかわかるような気がする
きっと、がんを体験した人でなければ
わからない感覚なのだろうな
でも、その意識が薄れた頃、
再発がないかの検査がまたはじまる
「お前は乳がんなんだ。
そのことを忘れるな」
と、また病気であることを
突きつけられるときがくる
毎年毎年、そういう思いを
していかなければならないのか
それともそのうちに、
それさえも慣れるときが来るのだろうか
2008年11月12日(水)
去年の日記を読み返した
『デポ、3分の1が終わった』
と、書かれていた
それのデポも、あと2回――
当時は先が見えなくて
副作用のつらさにもがき苦しみ、
真っ暗な長~いトンネルの中だった
そのうちに5年経ち、
タモキシフェンが終わるときも来るのか...
全く想像つかないけれど
考えてみると体調は、
去年よりは楽かもしれない
最近は特に、具合の悪さに
慣れてきたことが大きいかな
なにせ、
“具合が悪いことが当たり前”なのだから
“具合が悪いことが普通”なのだから
よく思うことがある
がんの手術前、
手術直後、
放射線を受けていたとき、
その後の経過...
と、
おっぱいの写真を
撮っておけばよかった...と
いや、実は、手術前に撮ろうと思った
が、なんだか未練がましいような気がした
(その頃は、“全摘”と言われていたので)
それに、万が一、その写真を
他人に見られることがあったとしたら...
それだけは嫌だ
だから、あえて撮らなかった
術後の写真も、
直後はかなりグロテスク
あとで「見たくない」と
思うかもしれない
(今ならたぶん直視できると思う)
それに乳がんがわかる前、
子宮筋腫の手術1か月後くらいに
お腹の大きな傷とともに、
ブラジャーをを着けたままの
おっぱいの写真を撮ったことがある
たまたま撮った写真
が、その後、
乳がんがわかることになるとは
全く想像もしていなかった
まさかその写真が
おっぱいを切る前の、
最後の写真になるなんて
しかもそのおっぱいの中には、
すでにがんがあったなんて...
そこでの後悔があったので、
放射線を受けたあとの
焼け焦げたおっぱいの写真は撮った
写真として残すのは葛藤があった
が、
“何らかの形で記録をしておきたい”
という思いが
心のどこかにあったのかもしれない
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Source: りかこの乳がん体験記
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