広島滞在中ふと思い立ち、宮島へも足を延ばしました。
客(まろうど)神社は、厳島(いつくしま)神社の境内社で、厳島神社を含め早朝のお参りがお奨めということを小耳にはさんだので、朝7時前には電車に乗ることを目指し、広島駅から電車とフェリーを乗り継ぎました。朝の静けさのなかで、清々しい気持ちのまま宮島へ到着することができました。
驚いたのは、ランドセルを背負った小学生のお子さんたちが多数、フェリーに乗船していたことです。フェリーもまた大切な登校手段、という光景を目の当たりにして地域ならではの光景にひとり感心しておりました。
さて厳島神社は、現在大鳥居が修繕中だそうで、鳥居にすっぽり覆いがかかっております。厳島神社にはこれまで幾度もお参りしておりますが、いつもなら下船してまもなく遠くに臨める大鳥居の姿がまったく見えないので、行く先を間違えたのかと思ってしまいました。
海に浮かんだ境内は、なんとも幻想的で、綺麗に配列された板床などを拝見するたびに、建造技術の高さを思わせます。
参拝入り口から進みますと、原則一方通行なので、厳島神社の境内で最初にお参りするのは「客(まろうど)神社」です。
御祭神は、「天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野櫲樟日命(くまのくすびのみこと)」の五柱です。
今回は、“生き方の秘訣”についてお伺いしております。
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「“力加減” ーーー この世には様々な“力”が兼ね合い、それらが互いに影響を及ぼしつつ均衡を保つのである。人ひとりについても然(しか)り。(家族や友人など)身近な交わり、地域、ひいては国などもまた、各々が持てる“力”を関わらせ、物事は成り立っている。
“力”に関して言えば、“強い” “弱い”という表現もあるように、元来の(強弱の)性質、さらには、能動的な意味での“力を強める”“(力を)弱める”、このように“変化”を伴ってこそ、力そのものが生かされる(用いられる)、その原理もあるだろう。
力を(強めたり、弱めたりを意図的に)“操る”ことができるのは、人間という生命の特異とするところ。(※機械ではなかなかできないことも、人の手仕事などの繊細さでできることなどを、例として示されました。)
必要なときに、力を込め、そして必要に応じて力を弱める(=抜く)。いつの時代にも、世に卓越する(活躍する)者は、その場に応じる(=臨機応変)機知に優れていたと申せよう。
人はみな、何人(なんぴと:どんな人)も、本来は優れた力の“加減”を備えている。ゆえに今こそ、その心得をまっとうする(しっかりとおこなう)者が、己の人生をより拓く(開花させる)のである。
日常、努めて力(りき)みを抜くことである。頑なな観念(思考)は、頑なな肉体を呼び(もたらし)、剛柔(=しなやかさ)をより遠ざける。剛柔無くば、いずれも(何も)生み出さぬ。
気(気持ち)も身も朗らか(軽やか)に、そして真っ直(まっす)ぐに、すくと(すくっと)立つこと、この姿を第一(肝心)と据え、(そういった姿になれるよう)日々の暮らしを省みる(見直す)ことである。
この力みなき、健やかなる姿こそ、いざ、真に(本当に)力を込める(集中する)場に挑みしとき、人知を超えるがごとくの知恵、そして技(技量)が現わされる(発揮できる)だろう。
ゆえこそ、皆々よ ーーーー
日常、いかなる困難ありても、時に天を仰ぎ見、真の息(=深呼吸)をおこなうことで、肩の力みをまずは排せよ(抜きなさい)。
苦渋ありてもなお朗らかに、穏やか、かつ颯爽(さっそう)たる姿は、自(自分)と他(他人・周囲)との不要な軋轢(あつれき:衝突)を除(よ)け、人生の“要”(※重大事やターニングポイントなど)にて、欠かせぬ“縁”を導き(引き合い)、己の力を余すことなく体現できるだろう。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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