自覚こそ第一歩

内科医

 難題山積で厳しい船出の石破政権ですが,先ごろ俎上に上がった高額療養費制度における自己負担上限額の引き上げについては,野党や患者団体などからの強い反対により,結局棚上げとなってしまいました.

 この件,医療の最前線で働いている者として報道を見ていると,そもそもこの制度はどういうものなのか?そして高額な医療を受けると実際の医療費はどれくらいになるのか?そして何よりも,この制度はどれほどありがたいものなのか?ということを,どのマスメディアもなぜかまともに報じていないという印象を受けます.

 むしろ,自己負担額が上がって大変だ,治療が続けられず命の危険さえある,というような負の面ばかりに焦点を当て,政府は弱者いじめをしている,けしからん,というような印象操作をしているのではないかとさえ感じますし,毎度のことながら,日本のマメディアの偏向報道姿勢には呆れるばかりです.

 医学の進歩とともに,医療はますます高度化し,高額な薬剤や医療機器,検査,治療手段がどんどん世の中に出ています.

 例えば,ノーベル賞を授与したことで有名になった本庶佑先生が開発したオプジーボなどの免疫チェックポイント阻害薬といわれる画期的な抗がん剤は,年間に数千万円もかかる薬剤ですが,最近は当たり前のように使われるようになっています.

 脊髄性筋萎縮症に有効とされるゾルゲンスマは,なんとひと月に 1億5千万もかかる過去最高の薬価の薬ということで話題になりました.
 その他リウマチなどの自己免疫疾患や神経難病のような疾患でも,次々と高額な薬剤が出ています.

 もちろん,薬剤以外にも手術やカテーテル治療に使用する医療機器や検査機器も,どんどん高額なものが出現,普及しています.

 重症の疾患や難病で数週間入院して高度な医療を受ければ,場合によってはひと月あたり500万,時には 1千万以上もかかる可能性さえあります.
 そうすると,健康保険の自己負担がたとえ1割負担の場合でも,月の支払額が50〜100万円以上にもなるわけで,とても一般庶民が簡単に支払える額ではなく,医療が受けられなくなる人が増えてしまいます.

 そこで,収入に応じて,月の医療費の上限額を計算して,全国津々浦々,老若男女,社会的地位などに全く関係なく,それ以上は公費で賄ってくれるというのがこの制度です.
 たとえば,年収500〜600万円くらいで健康保険の負担割合が3割の人が1,000万円医療費がかかったとしても,その自己負担額は20万円弱のみとなります.
 この20万円弱というのを,高いと見るか安いとみるかは人それぞれだとは思いますが,それ以外の数百万円が全て免除されると考えれば,この制度がいかにありがたい制度かわかるのではないでしょうか?

 しかし,その財源はどこから捻出するのかといえば,もちろん国民から徴収される保険料であり,税金です.

 今年3月の人口統計によると,我が国の少子高齢化と人口減少には全く歯止めがかかっておらず,出生数の減少で昨年の総人口は前年より56,0000人も減少,そのうち15〜64歳の労働年齢人口は220,000人も減っています.一方で高齢者数は増加しており,団塊の世代の高齢化で75歳以上の人口が70万人も増加とのこと,比率では65歳以上は30%弱,75歳以上は17%も占めているとのことです.
 つまり,医療資源の多くを消費する高齢者世代が増え,しかも高額な医療がどんどん普及しているために社会保障費の増大はとどまるところを知らないのにも関わらず,保険料や税金を多く支払っている現役世代がどんどん減少しているというのが,今の我が国の実態です.
 現に,国内の健康保険組合の8割以上がすでに赤字という異常事態になっています.

 このように社会保障費が国家財政を脅かすほどに膨れ上がっている現状を見れば,高額療養費の自己負担額を上げざるを得ないという案は,それに対する対案さえないのに安易に批判できないのではないでしょうか?

 私たち日本人は,諸外国と比較していかに日本の国民皆保険制度がありがたいものなのか,もっと意識したほうがいいと思います.

 私は以前アフリカ諸国に数週間派遣されて医療の実情を垣間見てきたことがありますが,改めて日本の医療はどれほど恵まれているかということを実感させられました.
 では欧米先進国はどうかと言えば,もちろん医療レベルは日本と同等あるいはそれ以上に高度なものの,日本のようにどの医療機関にもフリーアクセスということはありません.かかりつけ医も一人に決められている国が多いですし,専門医にかかるのにも何ヶ月も待たされて,時には手遅れになってしまうことさえあります.米国では日本のような公的保険制度がなく民間保険がメインですから,受けられる医療にも支払える金額により序列がありますし,低収入が故に無保険に国民も多いことが社会問題になっています.

 少し風邪をひいただけでも好きな医療機関に何度でもかかり放題,専門的治療を希望すれば数週間以内に希望の病院に紹介してもらい,全国どこでも均質の,しかも高度な医療が受けられる我が国では考えられないことです.

 日本の医療保険制度は財政的にもう崩壊寸前といってもよく,高額医療費制度どころか,国民皆保険制度そのものを維持するのも困難な状態になっているのだということを国民皆に啓蒙する必要があります.

 この危機的状況を打破するために,いったい何ができるか?
 まずは何よりも無駄な医療をなくすることが先決ではないでしようか?そのためにはやはり,せめて自分が受ける医療がどういう内容で,どれくらい公費で支えられているのかということを自覚する必要があると思います.

 患者さんたちの中にも,良かれと思って高額な薬を処方しても,いったい何のために飲んでいるのかさえ知らない人も多い.
 最近ポリファーマシーということが問題になっているように,特に高齢者が何の薬かも分からず無駄な薬をたくさん飲まされている例も非常に多く見受けられます.ひどいケースになると,飲みたくないから捨てたと平気で言われることえさえあり呆れてしまいます.
 心筋梗塞や脳梗塞で高額な医療を受けて一命を取り止めてようやく社会復帰しても,暴飲暴食や禁煙が出来ずにまた再発してしまう例もあります.

 もちろん医療側にも責任があります.
 ただ経営のために無駄な薬や無駄な検査を行ったり,複数の医療機関で同じような検査を何度もしたりする例は枚挙にいとまがありません.高熱と咳で救急外来を受診しただけで,聴診器を当てることもなく血液検査やCTやMRIをルーチンのようにされることも日常茶飯事です.もっともこれは昨今増えている医療訴訟への対策もあることは否定できず一概に非難はできませんが‥‥

 政府は可能な限りジェネリック薬品を使うように誘導したり,湿布や睡眠薬の処方日数を制限したりと涙ぐましいまでの施策を打っていますが,効果はしれています.

 それから,我が国でも,今まで避けられがちだった医療に対するコストベネフィットについてもそろそろ考えざるを得ない時期に来ていると思います.
 欧米では,限られた医療資源を可能な限り有効,公平に使うため,ある治療を行う時にそれにより「どれだけの期間,どれだけの生活の質の改善が得られるか」と「そのために必要な医療費」が天秤にかけられて評価されることがあります.高齢者や末期疾患の患者に対する治療で得られる効果が少なければコストに見合わないとして公的保険の適用は見送られる,つまり年齢や状態が実質的に「選別」の判断材料になっています.

 一方,日本ではいまだに医療は万人に平等という価値観が根付いており,年齢や状態で選別することを議論することさえ躊躇しがちです.意識もなくほぼ寝たきりの人に胃瘻まで作っていつまでも生かしたり,100歳近くになるような超高齢者にまで超高額な薬剤や治療を提供することに疑問を抱いただけで,命の選別をするのか?というような声さえ上がるわけです.
 しかし,一昔前のように若い世代が多く医療資源が潤沢だった頃とは違い,否が応でもこういった「聖域」にメスを入れざるを得ない時期に来ていると思います.

 このように,世界に冠たる日本の保健医療制度の仕組みとその有り難さ,そして今やそれが崩壊の危機に瀕していること,そのためには身を切る改革が必要であることを誰しもがしっかりと自覚する必要があると考えます.

 さて,それでも高額療養費制度の自己負担額を上げずに済む妙案,ありますでしょうか?


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Source: Dr.OHKADO’s Blog

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