米国糖尿病学会(ADA)が1979年に発行した糖尿病食事療法ガイドラインで,根拠を明示せずに『一般論として脂質を控えた方がよい』と書いたことに,当然ながら 【異議あり!】が続出しました.
そのもっとも強烈な例がこれです.
欧州糖尿病学会誌 Diabetologia
異議を唱えたのは,欧州糖尿病学会誌 DiabetologiaのReaven編集長(スタンフォード大学教授)でした. Reaven教授は,後に糖尿病の初期にはインスリン分泌がむしろ亢進して正常血糖値を保つが,膵臓がそれに耐えきれなくなったときに糖尿病を発症する『インスリン抵抗性糖尿病』を解明し,更にインスリン抵抗性が糖尿病だけでなく多くの疾患に関与するとして Syndrome X(=後のメタボリック症候群)を提唱した人です.
Reaven編集長は,わざわざEditorial Noteを寄稿して,こう述べています.
This trend has received official sanction from the recent Special Report of the American Diabetes Association’s Committee on Food and Nutrition [1], which states that dietary carbohydrate intake for insulin-dependent diabetics[IDDM] “should usually account for 50-60% of total energy intake.” It should be emphasized that no specific suggestions were made concerning the appropriate amount of carbohydrate to be included in the diet of the insulin-independent diabetic{NIDM]. In spite of the fact that no comments were made concerning amount of dietary carbohydrate in this largest group of diabetic patients, it is my perception that many physicians view the Committee’s report as license to increase dietary carbohydrate intake in all diabetics.
(一般に脂質を減らすべきという)この傾向は、IDDM(=1型糖尿病患者)の食物炭水化物摂取が「総エネルギー摂取量の50〜60%を占めるべきだ」としたADAの最近のガイドラインで公式化されている.しかしながら糖尿病の大多数を占めるNIDM(=2型糖尿病患者)については,炭水化物の適切な量に関して特段の提案はなかったことがもっと強調されるべきだ.それにもかかわらず多くの医師が『ADAのガイドラインはすべての糖尿病患者の食事の炭水化物摂取量を増やす』許可を出したと受け止めていることが問題だ.GM Reaven
頭から湯気を立てて(かどうかは不明ですが)怒ってますね.
たしかにこの時代には,Himsworthの論文で,『糖質を沢山摂った方が耐糖能が良くなった』などという文献 がまだ幅を利かせていましたし(★),とにかく高糖質食にしておけば安全だと思った医師も多かったのでしょう(高脂質食が心疾患を増やすと言われればなおさら).
(★)Himsworthの時代(1930年代)には,インスリンの存在と作用は知られていました. そして糖尿病とは,原因不明の理由によりインスリンが分泌されなくなった病気だというのが 当時の一般的概念でした. ところがHimworthは患者にインスリンを注射した場合,耐糖能が改善する患者と,変化が見られない患者との2種類があることに気づきました. Himsworthは,前者をInsulin-Sensitive Diabtes(インスリンに応答する糖尿病)[注1],後者をInsulin-InSensitive Diabtes(インスリンに応答しない糖尿病)と呼びました.この2種の違いは,現在の言葉で言えば,『インスリン分泌不全型+1型糖尿病』と『インスリン抵抗性型2型糖尿病』のことです. しかし,当時はインスリンの血中濃度を測定する手段がなかった[注2]ので,なぜこのように2種類の糖尿病が存在するのか.Himsworthは説明できませんでした.
[注1] ですからこの『インスリン感受性』は,現在使われている言葉とは意味が違います.Himsworthは,インスリンを注射すると耐糖能に改善が見られる患者のことをを『インスリン投与に応答する』という意味で『インスリン感受性』と呼んだのです.
[注2]血液中のごく微量のインスリンを正確に測定できるようになったのは,1960年 ImmunoAssay法が確立されてからです.
そして Reaven編集長はここでも科学に帰れと主張します.
Thus, “in the case of the sensitive diabetic increase of the carbohydrate content of the diet causes no increase in glycosuria, no rise in the fasting blood sugar level, but produces improvement of sugar tolerance and of sensitivity to insulin.
したがって,Insulin-Sensitiveな糖尿病患者では,食事の炭水化物含有量を増加させても,(インスリンさえ注射しておけば)尿糖の増加や空腹時血糖値の上昇もみられない.
In the case of the insensitive diabetic increase of dietary carbohydrate causes increase in glycosuria, a tendency to high fasting blood sugar levels, impairment of sugar tolerance and little or possibly no increase in sensitivity to insulin.”
一方で,Insulin-InSensitive糖尿病患者では,食物性炭水化物の増加は,尿糖や,空腹時血糖値,耐糖能障害が増加・上昇し,改善はほとんどあるいはまったく期待できないGM Reaven
現在と違って,当時の糖尿病治療手段は,インスリンかスルホニル尿素(SU)剤しかなかったのです.したがって,Reaven博士の主張は,Himsworthも認めているように,糖尿病の病態・メカニズムには2種類が存在しているのだから,[現在の用語でいえば]インスリンでバランスの取れる1型糖尿病などの患者なら,高糖質・低脂質(もちろん低カロリーの)食事で(減量が達成されるなら)効果があるだろうが,
Thus, these responses seem to parallel the effects noted by Himsworth and Kerr [7]. On the other hand, the 85% carbohydrate diet did lead to a significant fall (mean — 22 mg/dl) in fasting plasma glucose concentration of 9 similar patients studied while they were maintained on either insulin or sulfonylurea therapy.
したがって,これらの応答は,HimsworthとKerrによって指摘された効果と類似しているようです[7].一方,85%炭水化物食は,インスリンまたはスルホニル尿素療法のいずれかで維持されていた9人の同様の患者の空腹時血漿グルコース濃度の有意な低下(平均-22 mg / dl)をもたらしました.
GM Reaven
しかしインスリン抵抗性の高い患者に対して,血糖値を更に上げてしまう高糖質食を与えるのは尿糖の増加・病状の悪化を招くだけだと警告したのです.なので,ADAの1979年ガイドラインは,高糖質食を1型糖尿病(IDDM)だけに限定したのは実に賢明だと表明しています.
In conclusion, I believe that the omission of any suggestion by the ADA Committee on Food and Nutrition to increase dietary carbohydrate to 60% in non-insulin dependent diabetics was prudent, and I intend to follow their advice in this instance.
結論として、インスリン非依存型糖尿病患者(NIDDM)に対しては,食物炭水化物を60%に増やすとは提案しないというADAの見解は賢明であると私は信じており、この場合は彼らの助言に従うつもりです。GM Reaven
最後に,糖尿病=全員高糖質食と一律に適用するのは危険であり,まず厳密な臨床試験でデータを得るべきだと述べています.
I believe that recommendations leading to major modifications in the kind and amount of carbohydrate and fat in the diabetic diet must be based upon sound experimental data. It is obvious that I have considerable doubts that this criterion has been met in the case of the use of high carbohydrate diets in the treatment of diabetes.
私は、糖尿病食における炭水化物と脂肪の種類と量の大幅な変更につながる推奨事項は、適切な実験データに基づかなければならないと考えています。糖尿病の治療に高炭水化物食を使用することが、果たしてこの基準に適合しているのか かなり疑わしいです。GM Reaven
“How High The Carbohydrate?”という,この寄稿のタイトルは,いったい,十分なデータも考察もないままに,『どこまで炭水化物を増やすつもりなんだ?』という意味なのでしょう.
How High The Moon
とろで,このEditorial の題名”How High The Carbohydrate?”は,もちろん米国人なら誰でも知っている,大ヒット曲 “How High The Moon”をもじったものです.
医学誌でありながら,Reaven教授は ウケも狙っていて 関西人とは一脈通じるところがあります.
作詞:Nancy Hamilton/作曲:Morgan Lewis のこのJazzの名曲は,Mary FordとLes Paulの演奏(1951年)で大ヒットし,後に多くのアーティストがカバーしています.
1970~1980年代の米国の動きを振り返ってきましたが,話は再び日本に戻ります.
[20]に続く
Source: しらねのぞるばの暴言ブログ
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