甲斐国総鎮守 武田神社【上に立つ者の真実】

その他

甲斐国総鎮守と称される武田神社は、境内の前半分をお堀で巡らせております。そのため、境内に入るために橋が架かっていて、正面の橋を‟神橋”と呼ぶそうです。

神橋を渡って階段を上り、真っすぐ進むと拝殿に突き当たります。まるで絵にかいたようにきれいに区画されている本殿を含めた境内の配され方です。

信玄公のご息女誕生の際に産湯として使用したといわれる「名水 姫の井戸」や、地中で滴(したた)る水音が、まるで琴のように澄み切った音を奏でる「水琴窟」など、水に関連する名所が多いため、もしかしたら、この神社は、お堀を含め、水と深い関係があるのかもしれません。

御祭神は、神社の名のとおり、武田信玄公です。

本日は、武田信玄公の御霊よりの御言葉をお伝えいたします。

Rinokia

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「人生、歳ゆくほどに経験を重ねていく。そのなかでいかにして生きていくかの“知恵”を身につける。ある場合には、いわば安易なる選択を辿る(=選び取る)こともあろう。

しかしながら、真に自らに任されし責(※この場合には、“役目”という意味です。)をまっとうするならば、安易に免れる(逃れる)よりむしろ、その責に耐え得る“圧”(=負荷
プレッシャー)をも果敢にかけていかねば、物事は何一つ成し遂げられぬ。

自らに圧をかけ、これぞ(=こうせねばならぬ)と追い込むは、果たして心望む(願う)ことであろうか?

いいや。

その圧に真実(=本当は)震え、ともすれば、わが身の力不足と、明日への不安に苛(さいな)まれることは、誰しも同じこと。われ(=武田信玄公)とて微塵も(少しも)変わらぬ。

(少し間をおきました。)

それでも、せねば(=しなければ)ならぬ。それでもなお、成さねばならぬときが、人生の局面では必ずや訪れるものだ。

一人の生身の人間と思えば、心もある、肉体もある。それは生きている、というまさに血の通いし生き物で、労(いた)わるべきことも、互いに思いやるべきことも分かる(理解できる)というもの。

だが、世の乱れ惑うさなか、世の大きな変容にあっては、ときとして、人は果断に動かねばならぬ。

人間(人間界)の良し悪しを超え、より大きな仕組み(※ここでは天よりの采配のことを指しています。)に則り、動き、世の流れを変えていかねばならぬのだ。

血が幾重にも流れることもあるだろう。たとえ肉親とて、そこにはときとして、身を刻まれるごとく、辛い別れを選ばねばならぬこともあるのだ。命はそれこそ綺羅星(きらぼし)のごとく瞬(またた)く間に、われの元から(あるいは地上から)去ってゆく。

・・・分かってほしい。人の上に立つ者の、数限りなき“葛藤”を。

その(葛藤の)さなかに、なおさら、自らに圧をかけ、われら(=時代を先駆けた者たち)はなお、切り拓かなくてはならない。

何をか?

新しい時代の幕開けには、突破すべき物事が必ずや、ある。

既存の概念を脱ぎ捨て、子孫たちの歩みゆくべき可能性を模索してゆかねばならぬのだ。

いまだ見ぬ明日(=未来)の幸福のため、時代は、そして人は、自らの天命(使命)に従い、常に変わりゆくことを(※ここでは適応していく、という柔軟性を指しています。)けして恐れてはならぬ。」

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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