千代田区 神田明神④境内社:末廣稲荷神社【“伸びしろ”は老いてなお】

その他

神田明神の境内には、ちょうど本殿裏手にも沢山のお社(やしろ)が並んでおります。

その一つが、今回ご紹介する「末廣(すえひろ)稲荷社」です。小さな社殿ではありながらも朱塗りの美しいお社です。

こちらは、稲荷神である“宇迦之御魂神”のほか、“級長戸辺之命(しなとべのみこと)、級長津彦之命(しなつしこのみこと)”を御祭神としてお祀りします。イザナギノミコトとイザナミノミコトの間に生まれ、“風の神”とされております。

元和(げんな)2年の頃=1617年ほどの創建ということで、かなりの古いお社です。

本日は、末廣稲荷の神々よりの御言葉をお伝えいたします。

Rinokia

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「人の世においては、人は“都合よく”物事を考え、その場を安易にやり過ごすことを考えます。

いささか厳しき言葉になるやもしれませんが、この姿勢は、“逃げ”(逃避)とも申せ、ともすれば、日常における“言い訳”にも(即座に・緊密に)結びついてまいるでしょう。

自分の非のありどころを、他(他人)に求めるのは、実に易き(=簡単)です。

しかしながら、運勢(の良し悪し)を論じる上では、これはけして見逃すことができぬ肝要なる所業です。

神は、万人の姿(=生き様)について、互いの関わり(因縁)をも含め、広く公平に見定めて(=審判して)まいります。

分からない、のは、分かろうとしないのかーーー

見えない、のは、見ようとしないのかーーー

世の中には、さほどの努力もなく、言い訳やあるいは他を批判(非難)することにての保身、すなわち“隠れ蓑(みの)”を講じる(=設ける)者が、一定以上いることは否めません。

言い訳や安易な逃げ、あるいは他を貶(おとし)める(=非難する)ことでの、生き方は、“闇への道程”とお思いなさい。

無論、人は過ちを犯すことでしょう。

正しいと思えども、果ては(やがては)その判断の誤りを気づくこともある。

この世は、“現象”を表す(=実際に物事が生じる)ことが、最大の利点(良さ)でもあります。

ゆえに、人はその現象を垣間見て、心に刻み思考を巡らせ、再び試みることも、そして(行動を)改めることも叶うのです。

これは、“結果”に終始するばかりではないことも同時に意味いたします。

むしろ、結果は、次へと進む(成長する)ための“通過点”でしょうか。

だからこそ、この世においては、命ある限りけして終わりはなく、その意味では、(良くなるための)望ましき姿勢(気構え)、自らのあるべき姿を、慢心することなく求めていかねばなりません。

(こうだと)声高に断じる(=断言する)のは・・・天へ召されし後で十分でしょう。

歳を重ねるごとに、頑なになるのではなく、よりしなやかに(※稲の穂を、神は意図されます)、そしてより思慮深く、物事を自らの責(=責任・覚悟)にて摘み取る、その意気(気構え)を持つことです。

“伸びしろ”は、若き御魂(=若者)のみに授かるものではありません。

命ある限り、何人(なんぴと:老いも若きも)にも宿る、生命の至高の息吹(=エネルギー)なのです。」

(次回⑤へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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