八臂(はっぴ=手がハ本)の“朝日辨財天”を祀る「辨天院」から、さらに奥まった路地を歩きますと、“飛不動尊”と呼ばれるお寺「正宝院(しょうぼういん)」へ到着いたします。
こちらは、七福神のなかでは唯一の日本の神、“恵比寿天”を祀ります。
右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱えるという、皆様お馴染みの御姿です。漁業の神としても、また商売繁昌の神としても様々な神社仏閣にて篤い信仰を集めます。
“飛”不動尊、というのが、なんとも印象深いお名前です。
こちらの不動尊では、“飛ぶ”=航空関係や海外旅行などでの道中安全を祈願したり、あるいはゴルフの“飛”距離にかけてゴルフ愛好家も訪れるお寺だそうで、飛行護(まもり)や、ゴルフ安全護なども授与されています。
お寺の入り口からは、奉納の提灯と赤い幡(はた)が並び、なんとも独特の雰囲気を醸し出します。
困難な時代にこそ、むしろそれをバネにして人生を大きく“飛躍”してまいりたいですね。
本日は、正宝院本堂にての御仏よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「厄介なもの(障壁・嫌な事柄)を悪とし、それらを除(よ)ける(避ける)こともよかろう。
しかしながら元来は、“厄介”と嫌悪(けんお)し心乱れる、その心の在り方こそが、何より除けるべき難事(なんじ)である。
何が本当の苦難か、何が自らの人生における障壁か、今や多く(の人)は、“困難(厄介)”と名付け、総じて一括(ひとくく)りに論じていることを、先(ま)ず気づかねばならぬ。
本質(論点)の見えぬなかでの生き方(対処)は、まるで灯(あか)り(=指針)なく暗闇を彷徨(さまよ)うがごとく、無謀(むぼう)なる方策(=やり方)である。
世に蔓延(はびこ)るそぞろな不安、内実(中身・実際)は無くとも虚像によって焚きつけられたその恐れ(恐怖)が無くば、この世は(本来は)なんと平穏なる浄土(=極楽)であろうか。
真偽(=嘘か誠か・実際のところ)を見定めるその術(すべ)が、以後の世に生き延びる上での肝(=肝心なこと)となる。
虚像(※ここでは、不要な恐れなどの実体のない物事です。)に踊らされることは、何より人の心身を疲弊し、命(=寿命)を縮めるだろう。
今や、僅(わず)かでも(=少しでも長く)、人のこの世に生きることのその意義は、いよいよ(益々)深まる。
次世(※ここでは生まれ変わり、と言う意味です。)は順当(=当然に巡りくる)と思うなかれ。
ゆえに今、(現世での)命ある、その間(=期間)の生き方こそ、真に問われる(=天より精査される)ことを、今一度肝に銘じよ。
この世に生じては消え、消えては生じる、幾多の“虚像”に、そなたよ、けして命(人生・寿命)を投じて(=無駄にして)はならぬ。」
(次回⑦ へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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