東京には、東京十社と称する“元準勅祭(もとじゅんちょくさい)社”があり、これは元々、京都に皇居が在った時代に、天皇が国家鎮護のために勅使を遣わした神社=勅祭社、に準ずる神社として、東京の幾つかの神社を“準勅祭社”と定められていたことに由来するそうです。ただし、現在はこの制度は無くなったため、“元”が付けられております。
以前にも書いております、「芝大神宮」「品川神社」「赤坂氷川神社」「日枝神社」「神田神社(神田明神)」もこの元準勅祭社に該当し、それ以外ですと、今回の「白山(はくさん)神社」と、さらには「王子神社」「根津神社」「亀戸天神社」「富岡八幡宮」が入ります。
ちょうど、赤坂氷川神社をお参りする際に、鳥居のあたりに立てかけてあった看板に気づき、よくよく見れば “東京十社巡り”の勧めを書いたものでした。
看板に描かれた古図がなかなか雰囲気のあるもので、思わず見入ってしまいました。
そこにはおまかな順路が描かれてあり、その順路どおりに行くもよし、わたくし自身は、すでに参拝したお社も幾つかあったため、数日かけて、行きやすい順路で巡ることにしました。
白山神社の御祭神は、“菊理姫命(くくりひめのみこと)” “伊弉諾命(いざなぎのみこと)” “伊弉冉命(いざなみのみこと)”です。
富士山信仰の神“木花開耶姫(このはなさくやひめ)”(=浅間(せんげん)神社)とともに、この白山信仰の神もまた素晴らしいご神威の神です。
物事をはっきりとおっしゃる御姿が非常に印象的で、いただく御言葉は、のちにその真意に気づくことも多いです。
今回の御言葉が、皆様の何かしらの気づきになりましたら幸いに存じます。
Rinokia
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「突拍子も無い言葉(の表現)となりますが、是非あなたがたには、“裏腹”の心意気を得ていただければと思います(※ここでは、反対のこと・相反することを同時に持ち合わせる、という意味です)。
人には、それぞれ自尊心が備わり、今(現代)の言葉にするならば “プライド”というものでしょうか、それらが時として周囲の状況を省みず、無謀な行動(言動・態度)さえも取らせます。あたかもその者にとりては“これしかない”という、ただ一つの選択(行動)かのように。
この世は、様々な“呼応”関係によって成り立ちます。循環、あるいは順応、ということが、いずれにせよ、人が生きていく上では欠かせません。
世の中に馴染(なじ)めず、適応できず、という事態が、大小(の差こそ)あれども、人の多くが抱える悩みなのではないでしょうか。
抗(あらが)わないこと、ごく自然と従うこと、これらはけして物事(あるいは人)に流されるという意味ではありません。物事の順当な流れのなかの、前向きな相反(互いのぶつかり合い)であれば、それらはむしろ大きな動力(パワー)を生むことでしょう。
まずこの基礎として、人は、世の摂理(仕組み・関わり)を心得ねばなりません。
従順に、というのは、あなたがたにとりては、か弱い印象でしょうか。
いいえ、何かしらを生み出していく、進展を得ていく際には、まずはそこに確然たる地場(足場)が必要です。これらが整然と順当に兼ね合っていなければ、物事が広がる(=可能性が膨らむ)余地は見込めません。
その意味で、わたくしが冒頭に申し上げた“裏腹”というのは、一体何を示しているのでしょうか。
人が互いに(関わり)生き合っていくためには、表(おもて=面)は、努めて優しく、いよいよ柔和に、まるで天人(天女)ごとくに振る舞うことです。
そして、裏(うら※ここでは内側:肚のことです。)では、あたかも高潔なる貴人のごとく、堂々と、そして時に勇ましく、自らの志(信念)を据え続けることです。
人と人とが関わる世(=人間界)においては、“角”は丸くし、清水が荒野の大地を潤すように、いよいよ“馴染(なじ)まねば”なりません。
こうして、互いに和を以(も)って睦(むつ)び合い、いつしか何をおいても欠かせぬ存在となっていくーーー
これを、まさに自らの(あるべき)姿として“創る”のです。
そしていよいよ、発する息吹(エネルギー)は円(まる)くなり、佳(よ)き“縁を引く”、人生最大の秘訣を、あなたはこれよりの時代、賢明に(賢く)心得てまいりなさい。」
(次回② へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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