(終戦記念の日に向けて【Rinokiaのひとり言】の続きです。)
本日は、76年前の終戦後、命を長らえた方の御霊よりのメッセージをお伝えいたします。
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「身の危険があれば避けたいというのは、今(現代)のあなたがたにとってはごく当然の感覚だと思います。
命が危険にさらされることは、誰しもけして望むことではありません。
しかしながら、時代によっては身の危険を顧(かえり)みず、むしろ命と引き換えにしてまでお国の為に身を投じる(命を捧げる)ことが国民総意の、まさに“本望”としたならば、命の危険は避けたいという心理は、一体どのような意味をもつことになるでしょうか ーーー
わたくしも、かつては従軍兵として戦地に赴いた者の一人です。
ただし、軍には様々な仕組み(序列)があり、戦地の最前線に配属される部隊はもとより、援護射撃のごとくに、後方より必要に応じて兵や物資などを補給することを主とした任務に就くべき部隊もあります。
わたくしは、これらのうちの後者に所属し、いわゆる調達係として軍の機能を支えておりました。
こういった(軍の)実際の状況は、兵隊を送り出す人々にはわかりようもないでしょう。
徐々に我が国の戦局が厳しくなるなかでは、これら、軍の機能は急場しのぎで決定が下るなど、実に変化激しく、従軍する当人とても、明日はいかなる任務が命ぜられるのかまったく混沌とした状況でした。
わたくしは、徴兵検査も本当に受かるのか危うい程度で、元来身体も強くはありませんでしたから、その意味でも、戦機をわが国へともたらすべくの、重要な任務を預かるという立ち位置ではありませんでした。
ですが、同時期に入隊した兵士たちが次々と戦い凄まじき戦地へ駆り出されていきます。“散って故郷に錦の御旗を立てる”がごとく、勇ましく飛び立った仲間の姿が今なお忘れられません。
こうなると、たとえどのような立場であろうと、生きるも死ぬも同時にという“一心同体”の気持ちです。
どのような手を使ってでも、敵国に対して大きな打撃を与え、わが国に勝利をもたらすことを胸に誓い合った仲です。
日ごとに目に見えて不足していく物資のなかで、わたくしも一心不乱に任務を遂行しておりました。
“最後の一人になっても戦い続ける”ーーー この意気込みを、軍の元(=管理下)では徹底的に叩き込まれます。
ところが、ある日突如、わが軍にも解散命令が下されました(※1945年8月15日の終戦のことです)。
言葉に尽くしがたい絶望と、お国のために奉じることのできなかった悔しさ、そして、ありし日に、互いに手を振り合い、彼方(かなた)の海へ飛び立った同朋たちの顔が、走馬燈のようにわたくしの脳裏をよぎったのです。
(次回② へ続きます。)
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