神の詩 第五章十二節 11
「心を統一した者(ヨーガ行者)は、行動の結果を捨てて、究極の平安に達する。心を統一していない者は、欲望のままに行動し、結果に執着して束縛される。(十二)」
続きです。
パタンジャリ大師は、
心の作用は
大きく二つに分かれ、
五種類あると説明しています。
心の作用は
大きく二つに分かれ、
五種類あると説明しています。
「心の作用には五種類あり、それらは、苦痛に満ちたもの〔煩悩のもの〕あるいは苦痛なきもの〔非煩悩性のもの〕である。」
ヨーガ・スートラ第一章五節
ヨーガ・スートラ第一章五節
煩悩Klesaは、
苦痛klis
に由来する言葉であり、
一体の意味として解釈されます。
苦痛klis
に由来する言葉であり、
一体の意味として解釈されます。
「苦痛に満ちたものと苦痛なきもの」とは、
わかりやすく言えば、
自我に基づくものと無私に基づくもの
とも言えます。
自我に基づくものには、
苦しみが伴ないます。
苦しみが伴ないます。
どちらも欲望が存在しますが、
その欲の方向性は真逆です。
心の中心点は
二つあります。
二つあります。
一つは、
性的快楽や美食、激しい音楽などで活性化する部分、
もう一つは、
瞑想や祈り、慈悲ある行動などによって活性化する部分。
このどちらも、
心の作用として働くために、
最終的には
どちらも止滅することになります。
心の作用として働くために、
最終的には
どちらも止滅することになります。
心は
ずっと止滅しているわけではありません。
ずっと止滅しているわけではありません。
どんな聖者であっても、
人と対話をする時には
心を使います。
心の使い方が変わります。
その時の心の中心点は、
一つだけになっています。
続きます。
今日もありがとうございます。
ブログランキング参加しています。
応援クリックお願いします。
人気ブログランキング
Source: ひかたま(光の魂たち)
コメント