“日限(ひぎり)地蔵尊”とは、特に三、五、七、のつく日に人々の平穏を祈願し、難病を救って長生きをさせ、あるいは貧しい人には福を与えたといわれる地蔵尊です。
1570年代の会津(現在の福島)の藩主が、霊夢のお告げで三体のお地蔵様を城内の沼から見つけ出したそうで、以後、その御利益にあやかって多数のご分身が彫られ、全国のお寺に安置されたそうです。
通常は一体のみが、日限延命地蔵尊として祀られることが多いそうなのですが、このお寺では珍しく三体が併せて祀られているということで、現在のお堂の前にも沢山の幟(のぼり)が奉納され、信仰の篤さを物語ります。
ご本堂の阿弥陀如来に引き続き、今のわたくしたちに必要な心構えを伺いました。
どうぞご一読いただけましたら幸いに存じます。
Rinokia
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「“三”は、実に均整の取れた数です。
“三位一体(さんみいったい)”のように、異なる三者が互いに関わることで一つ(=一体)となり、この世界を成し(構成し)ます。
天と地、そしてそのなかを生きる人間ーーー どの存在とて欠けることなく、この世に欠かせぬ要素でありましょう。
陰と陽、まさに対極の姿は強烈なまでに、その姿を明るみにします。
ですが、そういった対極の様(様相)は、ときとして(その対称的な姿によって)相違が鮮明となり、地球に必要な巡り(循環・潤滑)が進まぬこともあり得ます。
そこで、(対極の)両者とはまた別の存在が交わる(関わる)ことが、各々の関係を築き上げるには何よりも大切です。
両者の姿は、どれも理に適い実に素晴らしい。
さらにはその両者が、3つ目の要素(存在)が関わることで、さらにその良さ(特質)が生かされていく、これこそが、あなたがたの人間界においても大切なのではないでしょうか。
自らの日常においても、良否(白黒)ではなく、もう一つの可能性を探っていくこと、そして、対人(対人関係)にてもやはり、第三者(※人のみならず出来事も。)を設けること、そういった均衡(バランス)が欠かせません。
この人間界が、二元(※二つの異なった要素から成り立つこと)のみならず、まさに“三元”のごとく、一層の広がりや、多様性などを良きに用いていかれることが、果ては、人類の生きる術(すべ)になることでしょう。
こうした、“多目(たもく=多数の視点)”にて、物事を冷静に判断していただけることを願います。
そして、もう一つ、是非心に留めていただきたいのは、わたくしたち(=三体の日限地蔵尊)の姿のごとく、仏とは、衆生(しゅじょう)の生き様を、天より、地より、いかなる方向からでも慈悲深く見守る存在です。
ですから、あなたがたにはこれよりの人生を、各々が“三位一体”となれるよう、広い視野と様々な手法(手立て)を見い出すそのさなかに、どうか仏たちの、天より地よりの絶え間なく降り注ぐ慈愛(安心感)を、いつでも(あなたの)その身に寄り添わせていかれますように。」
以上
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Source: 神々からのメッセージ
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