「真我を知る人々は、学識のある謙虚なバラモンも、牛も、象も、犬も、犬を食べる賎民も、同等に見る。(18)」
物質世界の世俗的な尺度で物事を判断しない師の見方をお伝えしました。
19世紀にヴァララーと呼ばれた、
タミル人の聖者ラーマリンガ大師がいました。
タミル人の聖者ラーマリンガ大師がいました。
彼は自らの聖なる変容の過程を、
5818の歌、6万節の詩として綴り、
後世に残しています。
5818の歌、6万節の詩として綴り、
後世に残しています。
それは、
「恩寵の神聖なる書」として、
現在でも読むことが出来ます。
大師は至高の存在を「至高の恩寵の光」と呼びました。
そして、
人が至高の存在と合一するためには、
三段階の変容が必要であるとしました。
「恩寵の神聖なる書」による最初の第一段階の変容では、
普遍意識へ入ることにより、
肉体が「完全なる体」へと変容します。完全なる体は、
普遍意識へ入ることにより、
肉体が「完全なる体」へと変容します。完全なる体は、
自然界の影響を受けることなく、
時間や空間の制限もなくなり、
肉体を若返らせることも可能となります。
大師はさらに、
この最初の変容を達成するには、
「すべての生物に敬意を払い、慈悲の心を持つこと」
「献身的な祈りと瞑想」
が重要であると述べています。
この最初の変容を達成するには、
「すべての生物に敬意を払い、慈悲の心を持つこと」
「献身的な祈りと瞑想」
が重要であると述べています。
「観音経」に、
「慈眼視衆生 福聚海無量」
という一節があります。
「慈眼視衆生 福聚海無量」
という一節があります。
この一節には
「視野を拡げて、すべての生きとし生けるものに対して慈悲の眼をもって視る。すると、至福が海のように限りなく拡がっている世界が見えてくる」
という意味があります。
「視野を拡げて、すべての生きとし生けるものに対して慈悲の眼をもって視る。すると、至福が海のように限りなく拡がっている世界が見えてくる」
という意味があります。
私たちは、
いつも自分中心だったり、
自分の所属する組織中心だったり、
自分の国中心だったり、
人間中心だったり、
あらゆる物事を見る視野を
限定してしまう傾向があるのです。
いつも自分中心だったり、
自分の所属する組織中心だったり、
自分の国中心だったり、
人間中心だったり、
あらゆる物事を見る視野を
限定してしまう傾向があるのです。
でも、
その限定的な視野や差別感覚や対立感が、
この世界に対立や混乱をもたらすことになります。
その限定的な視野や差別感覚や対立感が、
この世界に対立や混乱をもたらすことになります。
この節の説明は長いので
あとは
第五章を参照してください。
次は
「万物を同等に見る心をもつ人々は、既にこの世で転生(輪廻)を克服している。ブラフマンには欠陥がなく、万物に平等である。だから、彼等はブラフマンに安住している。(19)」
皆さん
かなり追いつかなくなりましたね。
少し
休憩しましょうか。
聖典の詠唱は
高山に登るようなものです。
一気に登ることも出来ず、
休みすぎることも出来ず
一歩一歩自分の歩けるペースで
確実に高度を上げていくことです。
今日もありがとうございます。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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