先日の土曜日,母校の岐阜大学医学部の関西出身者の同窓会が大阪梅田で行われ,13人の同窓生が集まりました.
母校は関西から近いので私を含めて関西出身者も多く,西宮の某病院の消化器内科医であるA君が幹事役になってくれて適宜開催していましたが,ここ3年ほどはコロナ禍でそれも叶わず,今回は久しぶりの開催でした.
光陰矢の如し,もう今年度は全員が前期高齢者の仲間入り,勤務医を定年退職して老健などで第二のキャリアを始めた者もいますし,私のように定年のない開業医も何人もいましたが,いずれもまだほぼ全員が現場の第一線で元気に働いていました.
久しぶりの対面の出会いは楽しく積もる話は尽きることなく,学生時代の懐かしい思い出話や昨今の医療の四方山話で盛り上がりました.
私が医師になったのは1983年,今年でもう卒後40年になりますが,この間に医療はITや生命科学の進歩に助けられて,革命的とも言える進歩を遂げています.
私が医師になりたての当時は,抗生物質は数えるほどしかありませんでしたし,感染症はもちろん高血圧や糖尿病や心筋梗塞や脳梗塞,癌,関節リウマチといったありふれた病気の薬や治療法も今では考えられないくらいレベルが低く選択肢が限られていました.
外科手術はgreat surgeon great viewなどと言われ大きく切開するのが普通で,全身麻酔ともなれば術後1ヶ月くらいの入院が普通でしたし,循環器領域でも,カテーテル治療などまだ始まったばかりで成績も今ひとつで,また心臓のオペと言えはまさに大手術で死亡率も高く,手術のみならず術後管理も大変でした.
CTやエコーのような画像診断も,性能や画質は今と比べると天と地の差で,もちろんMRIやPETなどはまだ黎明期でした.
パソコンもまだまだ普及していませんでしたから,カルテはもちろん紙カルテ,レントゲンも全て大きなフィルムに現像するため,何枚もとると重くてかさばりました.それを見るために病棟や診察室には,フィルムを見るためのシャウカステンというディスプレイ装置が必須でした.
私たち若い医師は結果の出た検査結果の伝票を分厚いカルテに貼り付けたり,カンファレンスで発表する資料を手書きで作るようなアナログな仕事が山盛りでした.
インターネットなどもちろんありませんから,文献検索も手間がかかりました.
病院や大学の図書館に行って,カビ臭い書庫の中を一冊一冊分厚い本を探してカートで運んではコピーするのが常で,その労力たるや大変なものでした.
こういったことを思い出すと,本当に隔世の感があります.
当院にも先日,新しい超音波検査装置とホルター(24時間)心電図装置がやって来ました.
言わずもがな,前者は心臓や血管はもちろん諸臓器の状態を身体に全く悪影響なく手軽に観察できる装置,後者は不整脈などをとらえるために1日中装着して心電図を記録できる装置で,いずれも循環器診療の必須アイテムです.
開業して15年,それぞれ3台目ですが,初期のものと比較してそのコンパクトさ,スタイリッシュさ,そして何よりもその性能の進歩たるや驚異的で,たった15年という短期間でさえもテクノロジーの進歩には驚かされるばかりです.
医学の進歩はかくも速いのに,私たちは歳をとる一方でついていくのも大変ですが,日進医学の医学ですし,我々医療従事者そして患者さんたちにとっても着実に便利にはなっていますので,その恩恵にたっぷり浸って,何よりも楽しみながら仕事をしていきたいと思います.
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Source: Dr.OHKADO’s Blog
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