虐待から職員を守る方法!介護現場の闇を照らし続ける光となれ!

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どうも、ヨウ-P(@s_y_prince)ことYO-PRINCEです!
いろんな切り口からカイゴのヒントをお届けしています!

2019年にメジャーデビューし紅白にまで出場したKingGnu(キングヌー)

遊び心満載の曲が多く、時には激しく、時にはしっとりと聴かせてくれる2019年私が一番衝撃を受けたバンドです。

一見バンドのイメージからは想像できない言葉の美しさメッセージ性からいろいろ考えさせられる曲も多いんです。

なかでも、「白日(はくじつ)」という曲は必聴です。

聴いていると、人生について、いつしか介護について考えさせられるようになっていました。

考えたことは、介護施設の光と闇についてです。

KingGnu「白日」が描く無自覚の罪とは?

まだ聴いたことがない方はまずこちらを聴いてください↓


King Gnu – 白日

一度聴いただけで、引き込まれてしまいました(^_^;)

2019年2月28日にネットで公開され、僅か一週間で動画再生回数140万回を記録したそうです。

それも納得の曲ですよね♪

この曲は日本テレビ系ドラマ「イノセンス 冤罪弁護士」の主題歌で、ドラマタイアップを強く意識して作られたそうです。

曲のタイトルの「白日」「身の潔白」という意味があります。

「冤罪」というのは、「やっていないのに罪を犯したことにさせられる」ことです。

冤罪は、冤罪となった人はもちろんのこと、冤罪となった人の家族や恋人、友人…すべての人の人生を狂わせてしまいます。

やっていないのに…です。

そして、「白日」は、こんな出だしから始まります。

時には誰かを
知らず知らずのうちに
傷つけてしまったり
失ったりして初めて
犯した罪を知る

※「白日」:作詞 常田大希

日々の暮らしの中のいろんなやりとりのなかで知らず知らずに人を傷つけているようなことはたくさんあります。

多くの場合、誰かを傷つけていることを知らぬままに時が過ぎていってしまいます。

ここからは私がこの「白日」を聴いて考えたことをもとに、介護のことにつなげながら話を進めます。

例えば、私が部下に悪気もなく知らず知らずに嫌なことを言ってしまい、その部下がとても傷ついて、イライラして、利用者さんにきつく当たってしまうようなことがあるかもしれません。

そうしたことは、介護現場には実は多くあるのではないかと思うわけです。

もし、それが高齢者虐待につながっているとしたら、上司である私は間接的にではありますが、無自覚に犯した罪を知ることになります。

介護施設の高齢者虐待で考えるべきは、そうした無自覚の罪なのです。

高齢者虐待は施設の責任と捉えメンタルヘルスに取り組むべき!

高齢者虐待は施設の責任と捉え取り組むべきです。

これは、介護施設の高齢者虐待の問題においてよく言われることです。

経営者が、介護現場の介護士を虐待に追い込んでしまうこということはよくあることだと思います。

介護には大変な側面があることは今や言うまでもないことでしょう。

利用者による暴力や暴言、認知症の激しい不穏症状への対応といったことに日々向き合っていくなかで、ストレスが積み重なっていくのです。

こうした利用者の言動に対しては、介護する側のスキルの問題が問われることがありますが、そう言われてしまうと確かにそのとおりだというのが私の考えです。

ただ、誤解のないように付け加えておきたいのが、そうした介護のスキルを獲得していくのはかなり高度なことであるということです。

私たちが介護をするのは、私たちの人生の大先輩である方々ばかりで、私たちがこれから行く道である未だ知らない道を想像しながら支援していかなければいけないわけです。

そのうえ、差万別の人生、千差万別の人の価値観を知り、支援していかなければいけないわけです。

ときには理解しがたい価値観の持ち主もおられます。

そうした方から、思いもよらぬ要求を怒り憎しみとともに突きつけられたりするわけです。

かつ、限られた時間・人のなかでその要求に答えようとするわけです。

私が思うに、これはかなり高度なスキルです。

小さな苦情を処理するようなコミュニケーションが日常的に求められるわけですから…。

介護現場で働く職員さんは、業務に追われながらも利用者さんの思いに向き合おうとします。

そんな中で、「白日」の歌詞にあるような「知らず知らずに人を傷つけてしまう」ことはやむを得ないことだと思っています。

そして、それは時として「虐待」「ハラスメント」となることがあります。

そうした環境下で、利用者あるいは同僚を傷つけるようなことをしてしまったとき、その職員は上司から指導を受けて初めて犯した罪を知ります。

指導を受けて深く反省する職員もいれば、「そんなこと無理だ」と開き直る職員もいると思います。

深く反省する職員は、その十字架を背負って介護を続けていくこととなります。

そんなとき、経営者はその職員が背負った十字架をどのように考えているのでしょうか?

経営者は、職員が追い込まれた職場環境に対して何をしたというのでしょうか?

経営者に求められているのはメンタルヘルスの取り組みです。

メンタルヘルスは、多くの施設が試行錯誤の段階で、ちゃんと考えている経営者であったとしても難しいことだと思います。

介護という高度なスキルが求められる仕事をしている職員のメンタルヘルスは、介護の仕事以上に高度なスキルが求められるんですよね…。

…となると、メンタルヘルスに取り組めない経営者が多いことも仕方のないことのように思えます。

せめてメンタルヘルスができていないことに経営者が気づけていたらよいのですが、多くの介護施設の経営者は知らず知らずに職員を傷つけてしまっているという現実があるんですよね。

そこをまずは何とかしたいところです…。

そんな経営者は犯した罪をいつ知ることになるんでしょうか??

部下から言われて立ち止まれる経営者ならいいのですが、そこで立ち止まれなければその施設は職員をどんどん追い込んでしまうことになります。

そんな施設では虐待の責任はすべて職員のせいにされてしまいます。

虐待の責任は経営者にあると捉えるべきで、職員は経営者に守られるべきなのです。

そんな施設ならすぐさま退職すべきですよね…。

※介護施設に明らかなる犯罪者が紛れ込んでいる場合を除きます。

「白日」にこんな歌詞があります↓

今の僕には
何ができるの?
何になれるの?
誰かのために生きるなら
正しいことばかり
言ってらんないよな

※「白日」:作詞 常田大希

経営者が職員に虐待をさせないためには、経営者である自分に何ができるのかを自問自答し続け、「正しいことばかり言ってらんない」ぐらいの職員のために生きる覚悟”が必要だと思うわけです。

冤罪となった人を守る弁護士の姿と虐待から職員を守る経営者の姿。

それぞれの悩み苦しむ姿。

こうやって見ていくと、介護士による高齢者虐待は冤罪とよく似た側面があるなと思いませんか?

では、ここからは介護士の虐待につながりかねない日常を見ていきたいと思います。

介護士はレッテルの中でもがいている!

「白日」のサビの部分では、冤罪となった主人公が無罪となってもなおもがき苦しむ姿が描かれています。

真っ新に生まれ変わって
人生一から始めようが
へばりついて離れない
地続きの今を歩いてるんだ

真っ白に全てさよなら
降りしきる雪よ
全てを包み込んでくれ
今日だけは
全てを隠してくれ

※「白日」:作詞 常田大希

こうした葛藤はまさに介護現場でも起こっているんですよね…。

こうした葛藤が表面化しない職場は、職員を虐待へと追い込んでしまうのだろうと感じます。

では、介護士の葛藤について見ていきたいと思います。

利用者との関係にもがいている介護士

介護の仕事をしていると、なかなか受け入れてもらえない利用者と出会うことがあります。

一度の失敗で利用者から「あの職員は◯◯だ!」とレッテルを貼られてしまい、それ以降受け入れてもらえないということもあります。

「白日」の歌詞のとおり、人は誰しも知らず知らずに他人を傷つけていることがあります。

介護の仕事は、次から次へといろんな利用者の対応をしなければいけないという状況の中で、心の余裕はなく「知らず知らずに利用者を傷つける」という無自覚の罪が多かれ少なかれ起こりやすいと言えます。

あんたはこうしてくれるけど、Aさんはそんなことしてくれへんで!
あいつは何にも考えてへんわ!

言わんといてほしいんやけど、Bさんは私にはあんまりしゃべってくれへんのや。
私のこと嫌いなんやろうなー…。

こんなふうな他職員の不満を聞くことがあります。

私も言われたことがあります…。

利用者との関係は、一から始めようと思っても一度崩れるとなかなか元に戻せません。

利用者から「悪い職員」というへばりついて離れないレッテルを貼られてしまうからです。

それに、利用者側が職員に対して不快な態度を見せ始めてしまうと、職員のほうもそれを察してストレスを感じそっけない態度になったりもして悪循環となっていくこともよくあることです。

職場の人間関係でもがいている介護士

そして、こうしたことは職員同士でも起こります。

一生懸命に新人職員のために指導をしていたら…

C先輩って怖いんですよね…。

人間関係を大切にしてどの職員とも仲良くしていたら…

Dさんって八方美人で何考えてはるか分からんわ…。

職員からも思わぬレッテルを貼られることはあります。

良かれと思ってしていたことが、知らず知らずに悪評へと変わっていってしまうことはよくあることです。

これもまた無自覚の罪ですね…。

そのことに気づき、自らの言動に修正をかけようとしてもなかなか元には戻れません。

レッテルがへばりついて離れないんです。

それに変な噂でつぶされそうになることもあります。

以前にこんな記事を書いたことがあります↓

言いたい放題の噂・陰口は、全くの嘘でそのすべてを否定したとしてもなかなか消えるものではないんですよね…。

まさに冤罪ですね…。

こうしたことが、対利用者、職員同士のなかで起きてくると、「今日だけはすべてを隠してくれ」と言いたくもなります。

介護士はこうしてもがき苦しんでいるのです…。

「闇」と向き合うことがセルフコントロールにつながる

さて、「白日」の歌詞を見てみましょう↓

いつだって人は鈍感だもの
わかりゃしないんだ肚(はら)の中
それでも愛し愛され
生きていくのが定めと知って

後悔ばかりの人生だ
取り返しのつかない過ちの
一つや二つくらい
誰にでもあるよな
そんなもんだろう
うんざりするよ

※「白日」:作詞 常田大希

人は腹の中までは分からないものだと歌っています。

確かにその通りで、考え過ぎても仕方ありません。

思うようにいかないのが人生で、そのなかで生きていくしかないですもんね…。

そして、過ちは誰にでもあるもんで後悔のほうが多いもんだ…「そんなもんだろう」と歌っています。

自分だけでなく、周囲の人間も過ちを繰り返し生きているわけです。

そんななかであれやこれや悩んでいても、そんなもんだから仕方がないというところにたどり着いていくのです。

私たちはどうにもならないことで悩んでいることのほうが多いんですよね(^_^;)

そんなことは分かっていながら、うんざりするんですけど悩みを繰り返してしまうという…。

それでも、そうやって悩みを繰り返していくことで、物事は解決していくものなんです。

「現実」と向き合うことができているからです。

すべてが解決するわけではないですが、今よりは良くなっていくわけです。

どうにかなっていくわけです。

冤罪となった人も、精神的に追い込まれる介護士も、そうやって悩みを繰り返すことでセルフコントロールをしているのだと思います。

そして、そうしたセルフコントロールができるためには、有能の弁護士の存在であり経営者の存在が欠かせません

セルフコントロールこそが経営者が取り組むべき理想のメンタルヘルスなのです。

介護現場の「闇」を照らし続ける存在が必要!

ここまで書いてきたことは介護現場の「闇」の部分ばかりですが、「闇」ばかり見ていると嫌な気持ちにもなりますよね…。

でも、「闇」こそが「現実」なのです。

「闇」が多いからと言って、あきらめるのはまだ早いです。

その「闇」を何とかしようと思っている人がその職場にいれば状況は一転することがあります!

良い施設にはそういう存在の人がいるもんなんです!

その人は「光」となり、「闇」を照らすことができる人です。

見えてきた「闇」の中とトコトン向き合える人です。

「闇」を照らさず、ただ「光」となって周囲を「光」のほうに導こうとする人ではダメなんです(こういう人をキラキラ系介護士と言うのかな…)。

まずは、「闇」を照らせる「光」のような存在の人を探してください!

いなければ、あなた自身がそこを目指してみてはどうでしょうか?

そのためには「闇」と向き合い「闇」を知るということが一番の近道だと思います。

そんな地道な日々が、いずれ職場を引っ張っていく役割を任されたときに、きっと役立ちます!

「白日」には「身の潔白」以外に「照り輝く太陽」という意味があります。

「照り輝く太陽」のような存在になって、介護現場の「闇」を照らし続けることから始めてみましょう!

「闇」が照らされて見えない部分が表面化したとき、介護現場の「光」と「闇」を同じレベルで考えることができるはずです。

「光」を語るも「闇」を語るも、まずはそこからってことですね!

「光」も「闇」も分け隔てなく議論できる日が来ることを祈っています!

まとめ

KingGnuの「白日」、とても刺激的な曲です!

そして、歌詞がいいです!

ぜひ何度も聴いてみてください↓

白日

白日

  • アーティスト:King Gnu
  • 出版社/メーカー: Sony Music Labels Inc.
  • 発売日: 2019/02/22
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

描かれているのは、どうしたって「闇」から抜け出せない心の揺れ動き…。

実は、私の心のなかは「白日」の歌詞のような心の揺れ動きが日々起こっています。

そんなことを繰り返していると、自分の心が強くなっていくんです。

時々うんざりしますけどね…(^_^;)

あまり自分を追い込む必要はないですが、「闇」のなかでもがき苦しんだ経験はいつか自分にプラスになってくれることは知っておいたほうがよいと思います。

「無理」と感じたときは「逃げる」というのは必要な手段ですが、すぐに「逃げられない」ときもあると思います。

「逃げる」までのそうした期間は、どうせなら自分の成長のために使ってしまおうぐらいの割り切りをしておくとよいと思います。

そんな割り切りはなかなか難しいと思いますが、この「白日」を聴きながら、いったん「そんなもんだろう」ぐらいに思えたら自分の成長につながる行動ができるかもしれませんね!

以上は余談です…(^_^;)

さて、ここからまとめに移ります↓

介護は今、「闇」ばかりが目立つなかで、「光」の部分にも注目しようという流れがあります。

残念なことに、この「光」と「闇」は交わることがないような状況にあります。

私としては「闇」の部分にしっかりと目を向けることが大切だと思っていて、「闇」の部分をしっかりと見える化したうえで、「光」と「闇」を同じレベルで考えることができる状態にするべきと考えています。

早くそのスタートラインに立ちたいもんですが、なかなか難しそうですね(^_^;)

とにもかくにも、まずは介護現場の「闇」の見える化です。

「光」となれる人が、それぞれの介護現場の「闇」を照らし続けてあげましょう!

冤罪のように「どうせ言ったって変わらない…」とならないようにしたいものです…。

Source: すべての道は介護に通ず【暮らしかるモダンなブログ】

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