糖尿病の精密数理モデル[6]

健康法

監査法人PWC社が個人ごとの糖尿病発症予測プログラム(以下 PWCモデル)を開発しました. それは人体の代謝にかかわる あらゆる要素を可能な限り盛り込んだ数式の集合です.ただし,それだけでは具体的な数値が出てきません. そのためには 糖尿病ではなかった人が 糖尿病発症に至る課程で,体内にどのような変化が起こっていたのかという『生データ』が必要でした.

そして,それに正にピッタリのデータがありました.

DPP試験

DPP試験(Diabetes Prevention Program Outcomes Study)とは,2002年に発表された糖尿病の予防法を探索した試験です.

DPP Trial

特段の持病はなく 糖尿病とは診断されていないが,過体重又は肥満(BMI≧24)で,やや空腹時血糖値が高い人,すなわち 糖尿病になるリスクを持った予備軍の人 3,234人を対象にした1996-1999年の研究です. 糖尿病予備軍がどのような経過で糖尿病を発症するのか,またそれは 投薬や生活習慣(ライフスタイル)の変化で予防できるのかを調べることが目的でした.

糖尿病予備軍(IGT)の人の集団を下図のように無作為に3グループにわけて,糖尿病になった人/ならなかった人を約3年間にわたり追跡しました. 当時もっともよく使われていた糖尿病経口薬であるメトホルミンを投与した群,積極的なライフスタイル介入(減量と運動の奨励)を行った群,そして対照群としてメトホルミンと見分けのつかない偽薬を服用したプラセボ群とを比較したのです.

ここで『ライフスタイル介入』とは,7%の体重減少を目的として食事のカロリーを減らし、週に少なくとも150分間の運動を行うよう奨励されました.

結果はこの通りでした.世界はこの結果に驚きました.

代表的な糖尿病経口薬であるメトホルミンの糖尿病発症予防効果はプラセボ対比で-31%でしたが,ライフスタイル介入の予防効果は -58%もあったからです.

観察期間中に ライフスタイルに介入した人の半分は糖尿病を発症しませんでした.この結果は薬(=メトホルミン)を投与した人達よりも優秀でしたから,肥満の人の糖尿病予防には 食事・運動が決定的に重要であることを証明したものであり,現在でも良く引用される試験です.

それにしても

しかしながら,この試験結果をもう一度見直してみましょう.ライフスタイル介入プログラムを受けながら,どうして約半分の人は糖尿病発症が予防されたのに,残りの半分の人は予防効果が見られなかったのでしょうか? 発症した人/発症しなかった人の差は何なのでしょうか.ここには【個人差】があるとしか考えられません.

そうです.糖尿病ではなかった人が糖尿病を発症する前後の期間の変化を詳細に記録したこのデータを利用して,PWCモデルの係数をCalibrate(較正)したのです.なぜこの試験のデータを採用したのかといえば,3年にわたる観察期間中,参加者の詳細な検査データ(血糖値,インスリン値,血圧,中性脂肪,HDL,LDL,体重など)の継時変化が記録されていたからです.

具体的には,DPP試験の参加者中,特に詳細な記録がとられていた[注] プラセボ群 331人とライフスタイル介入群 315人を選び,初期及び途中の実測値(HbA1c,血糖値,インスリン,体重など)の推移とシミュレーションの結果とが一致するように,各人ごとに109個の係数を Try & Errorで設定した(=Fittingといいます)のです.これには膨大な計算が必要だったでしょう.

[注] なお,DPP試験の対象者は BMI>24の人でしたが,PWCモデルに用いたのは,その中でもBMI≧27の人です.これは このシミュレーションの適用範囲を判断するうえで重要な除外条件です.

さらに経時的な事象を微分方程式で解析する場合,常に問題となる『初期条件』の設定には相当苦労したようです.まずすべての対象者は,20歳時点では痩せていて完全に健常であったと仮定し,そこから50歳までは通常の食事を続けてきたものとして,DPP試験に参加した時点では『典型的な(=個性のない)個人』であったとしています(Baseline 較正). ここから食事の炭水化物・脂質が増量され(本人申告の食事データは ほとんど信用できないので不採用),3年間かけて『メタボ化』していくものとしています.この段階で 対象者個人ごとの実測データとFitするよう係数を探索・収束させています.

このFittingの出来栄えはこの通りでした.

Sarkar 2018 Fig.3

介入期間中の体重,HbA1c,インスリン値,空腹時血糖値の推移を,実測値(黒丸+青線)とシミュレーション計算値(緑線)で示したものです.計算と実データが よく一致しています.

また,観察期間終了時点での人数分布についても,この通りで;

Sarkar 2018 Fig.3

主な指標の個人ごとのデータ分布が,計算と実データで よく一致していることがわかります.

なお,グラフの上段はプラセボ群,下段はライフスタイル介入群です.

これで DPP試験参加者の個人ごとのシミュレーション数式と,そこに使われる個人ごとの係数が定まりました.

[続く]

Source: しらねのぞるばの暴言ブログ

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