「人間、食べられなくなったら終わりだ」 ~体重の変遷 ――その後のその後の、その後のその後――~

その他

毎朝、計測している体重

今朝もいつものように
パジャマを着たまま体重計に乗る

パジャマを着たままだと、
“39.35kg”

が、冬場のパジャマは厚く重い

...ということで、
久し振りに裸で測ってみた

2025/03/07 今朝の体重

38.85kg――

なんと、パジャマの重さ、
500g

それより、
体重が39kgを切っているとは思わなかった

このあいだ、
少し増えたと思っていたのに...

これまで何度か
ここに記録してきた体重

2024/05/07 体重の変遷

2025/03/07 体重の変遷 ②

今朝の体重で「ヤバい」と思っていたが、
過去の記録を見てみると、
もっとヤバいではないか

38kgを切りそうなこともあったんだな...

もうサバイバルの中では生きていけない

災害があっても、
避難所で配られる食事も
喉を通らないタイプ

生命力、ない

まぁ、この体重は、
“体重を増やしてはいけない”という
変形性股関節症にはいい

が、健康やがんのことを思うと、
痩せすぎはよくないわけで...

中学3年の頃は39kg

40kgになるのが憧れだった

高校1年では念願の40kgを
数百グラム超えた

が、高校生活では、
3時間めが終わると早弁、
昼にはパンを買い食い

下校途中では喫茶店に行き、
気づけば44kg

二十歳のときは
自由気ままな一人暮らしで、
50kg近くまで太った

20代では44~46㎏
(一応、“普通体型”なのだろうか、
 ぽっちゃりしたお腹と腰まわりと
 太い太ももがコンプレックスだった)

その後は42kg前後に落ち着いた

痩せはじめたのは、
乳がんのホルモン療法をはじめてから

なにせ副作用が強すぎ、
食欲もなくなった
(治療の5年+治療が終わってもさらに1年、
 ずっとつわり状態)

それに、同居していた母とのいざこざで
食事もまともに摂れない時期もあり...

職場では、休憩・食事なしで
朝から夕方まで働いていたこともあり...

食べないことが普通になり
食べられないことが当たり前になり...

今は、
それでも「食べたい」という意思はある

「あれ食べたい」
「これ食べたい」

という思いも強い

...が、あまり食べられない

すぐにお腹がいっぱいになる

たくさん食べると
あとで気持ちが悪くなる

そんな今日の夕飯は――

2025/03/07 ミートソース

ミートソースをつくった

旨かった

ちょっと食べすぎた

今、気持ち悪い

よく母と話していた

「人間、
 食べられなくなったら終わりだよね」

と...

そんな思いもあったのか、
母は亡くなる直前までご飯を食べていた

ベッドで横になっている母の口に
スプーンでほんの一口、一口だったけれど

それから数時間後、母は亡くなった

「あんなに直前まで
 ご飯を食べていたのに...」

と、信じられなかった

一生懸命生きようとしていたのだな

「食べられなくなったら、終わり」

そう思って、
生きようと、一生懸命に...

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Source: りかこの乳がん体験記

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