日本の社会の「甘え」

その他

日本人社会の特徴の一つとして
「甘え」
があります。

これは欧米社会にはほとんどないもので、
英語でも的確に表現できる単語が見つかりません。

甘えは
うまくバランスがとれればとても快適である一方
バランスが崩れれば病的になりかねません。

そしていま
バランスが崩れています。

このバランスの崩れは
「甘え」からの卒業時期に現れる現象です。

もともと「甘え」の原型は、
幼児が母親に甘えることにあります。

甘えでは
甘える相手に常に受身的、依存的になります。

そして
保護されている間は
大きく偉そうに振舞うことができます。

でも
自分一人にされると
何もできない。

自分の思考さえ
コントロールできない状態でいます。

そして
何かが起こると、
簡単に傷つきやすく、
誰かのせいにしたり、
すねたり、
嫉妬したり、
離れたくないのに離れようとします。

自分の思考がコントロールできないままであれば
意志の力も気力もどんどん弱くなり
識別能力も失われていきます。

その結果
さらに依存体質が強まります。

いつまでも甘えていたいために
人に好かれるように
他人の意見に同調し、
間違っていることを間違っていると主張することをしません。
いつまでも依存していたいし
責任をとりたくないからです。

そして
保護してくれる人に脅威を与える人を非難したり、
事実を隠蔽してでも
甘えの環境を守ろうとします。

日本社会では
この甘えに頼っている人が多いです。

現代社会では
自分の真実に従って素直に生きるよりも
指導者に従う社会、
自分や自分の属する小さな集団に依存する方が
正当化されている社会であることは間違いありません。

それは
おかしくないでしょうか?

人生
苦しいことも悲しいことも辛いこともあるから人生。
その時に
自分で問題を解決して
新たな道を開いていくのは、
人として当たり前のことです。

いつまでも依存する甘えのままでは
何のために地上に下りて来たのか
わかりません。

甘えの後には
必ず
自立が必要です。
甘えにいつまでもしがみつけば、
人も社会も
精神的発達をすることなく
退化していきます。
古い世界の終焉と新しい世界の始まる混乱期には
多くの人が正しい灯りを見失ってしまうために

不安感から
すべての責任を放棄して
誰かに従いたくなるのもわかります。

でも
そういう時こそ
自分の力を示すチャンスなのです。

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「自燈明、法燈明」

これは釈迦大師が入滅の時に述べた言葉で
「自らの真我、そして宇宙の法則を灯りとして生きなさい」
という意味です。

真っ暗な道を
自分自身を灯火として
自分自身を頼って歩くこと。
もし自分の責任を放棄して
誰か他人を灯火とした場合
もしもその人がいなくなったら
真っ暗闇に放り出されることになります。

その時に文句を言っても
誰一人
助けてはくれないでしょう。
依存しきって甘えていた当人の責任ですから。
情報に振り回されたり
責任放棄していないで
自分のハートを道標にして生きましょう。
人の魂の性質は
波動が高いので、
高い波動に包まれると心地よく感じます。
つまり
思いも
言葉も
行動も
波動の高いものにすることが
人間は最も真から幸福に感じるのです。

それは
人に甘えて依存しているうちは
永遠に感じることは出来ないでしょう。

人が勝手に決めた社会のルールに依存することをやめて

自然の摂理を優先すること
自分の純粋なハートの声をよく聴くこと
素直に自然体で生きること

によって自らを高めていくしかないのです。
自らの心に従い
行動することによって
甘えからの離脱が始まります。
私たちは
この地球でさまざまなことを学びます。

だから
さまざまなことが起こります。

そして
その起こった事象がどんなものであれ、
自らの心に従い
責任ある行動をすることが

最も大切です。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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