2つの言葉。

その他

この夏で、母が死んでから5年が過ぎた

今では
母と背格好の似た人を街で見かけるとドキッとすることも
めっきり少なくなった

「隠れなきゃ」

そう思うことがなくなったのは、つい最近

乳がん治療中に実家を追い出されてからの数年間は、
両親に街で会わぬよう、
隠れるように生活をしていた

幼少期の頃から...

いや、私がまだ記憶に残らない赤ん坊の頃から、
母から受けていた感情的な暴力

あまり“良好”とは言えない家族関係であったが...

両親には優しい言葉をかけられたことは
なかったが...

それでも2つ、忘れられない母の言葉がある

それは、私が20代で結婚をしたとき

結婚と同時に、
遠くの街へ引っ越すことになっていた

引っ越しをしてどれくらい経ったときだっただろう

1か月くらい経っていただろうか、
母から電話がかかってきた

何の用かと思えば、いきなり、

「淋しい」

と、言い出した

「姉ちゃん(私のこと)がいないと淋しいわ...」

と、弱々しく言うのだ

「え? 私がいなくて淋しいの!?」

と、驚いた

てっきり清々していると思ったからだ

「うん、淋しいよ」

と言う母に、

「妹(私の4つ下の妹)がいるじゃん」

そう応えると、

「あの子じゃ駄目なんだよね。
 やっぱり姉ちゃんじゃないと...」

母がそんなふうに思っていたとは...

そしてもうひとつは、
母のがんがわかったとき

母の甲状腺がんがわかったのは、
私の乳がんがわかる2週間ほど前

11月のことだった

手術はお互い、年明けの1月

私は1月1日にお詣りに行き、
母に『病気平癒』の御守りを買った

それは私とお揃いの御守りだ

  こんなとき、“お揃い”という言葉が
  適切かどうかはわからないが...

その御守りを渡したとき、
母はそっけなく受け取るものだと想像していた

が、母の口から出た言葉は、
予想外のものだった

「え? 御守り買ってきてくれたの? ありがとう。
 あんたは本当にこういうことしてくれるよね。
 あんたは優しいよね...」

私は今でもこの2つの言葉に
救われているのかもしれない

人生で、たった2つの、
母からの温かい言葉――

そんな今日

街なかに、綺麗な花が咲いていた

2020/08/08/ 花

毎年この時期にここを通るたび、
癒される花壇だ

が、驚いたのは、
右横にある大きなオブジェが示している数字

2020/08/08 気温

『18.0』――

これは温度計である

この時季の、昼のひなかに“18度”

さすがに涼しい...

いや、肌寒いはずである

あすは27度

週なかには、32度の予想だ

また体調を崩しそうな予感しかしない...

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Source: りかこの乳がん体験記

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