榎(えのき)天神社【宇宙大の大志を抱く】

その他

先日の記事で書かせていただきました、武田信玄公を御祭神とする「武田神社」の境内には、ご神木の榎(えのき)があり、その根元には、菅原道真公を祀った小さな祠(ほこら)が見られます。

学問の神様としても名高い道真公にあやかり、受験の祈願をする方も多いそうで、祠の脇には、この祠を参拝されて合格した方が受験で使用した鉛筆を返納する箱も設置され、様々な長さの鉛筆が沢山奉納されているのを拝見すると、努力が実を結び、晴れてこちらへ鉛筆を奉納された方々の勇姿が目に浮かぶようです。

今回は、学ぶ際の“心意気”について、榎天神社の神に伺いました。どうぞご一読いただけますと幸いです。

Rinokia

***

「世の中が塞ぎ込むならば、人は自身の将来(展望)について、あたかも暗中を彷徨(さまよ)うがごとく、なかなか見い出せぬ。

自ら思うようにいかぬことは、もはや人の世の常。

しかしながら、それでも人は、事象から学び、そして自らを高める(※ここでは少しでもよくしようと志すことも含みます。)ことを止(や)めはせぬ。

学問を修めることも、そしてまた、世を生き抜くことも、場こそ違えど、心して(決意して)いかねばならぬ、実に遠き道のりなり。

では、たとえば、学問を(修めることを)志すならば、人は果たして何を心に据(す)えるべきかーーー

それは、何より、“大きな志”をもつことなり。

たとえ、それがまるで絵空事のような(突拍子もない)壮大な夢でも構わない。

人は、自らの身体は定まりこそあれ(=大きさは大概決まっているものの)、思い描く力は宇宙大に広がり、そして、考えを出だす(知能の)“泉”はまさに底知れぬもの。

たとえば、“世の中の役に立ちたい” “国のために尽くしたい” “人々の平和のためにーーー”と大志を(思い)描くならば、わが内に勇気は沸き上がり、目前に広がる世界はなお(=より一層)そなたにとりて欠かせぬ(重要な)意味を成す(示す)ものとなろう。

心向き(気持ち)をいかに繰(く)るか、それをしかと心得、限りなく大きく、そして伸びやかなるままに希望を抱く者が、真に学問を修めるのだ。

いずれの民も、今こそわが身を信じ、地上のかけがえのなき者としての己の力を果たさんがため(=果たすため)、共に志を大きく、互いに高めゆくことの尊き(=素晴らしさ)を讃える世(世相)となることを、われは切に願う。

世の変革の狼煙(のろし)のごとく、赤々と希望に燃えるその燈火に、そなたは自らこそがその役(役目)を負う、その気概はあるか?」

以上。

***
※応援して下さる方は、下の2箇所のクリックをしていただけますと、
大変励みになります。

精神世界ランキング
人気ブログランキング

※ご質問はコメント欄へお寄せください。
内容を拝見し、お答えが可能なものに関しては、順次ブログにて回答を掲載させていただきます。
***



Source: 神々からのメッセージ

コメント

タイトルとURLをコピーしました