小高い丘にある「天皇社」を後にし、続いてお参りしたのが、少々参拝経路を外れたところに祀られた「成願(じょうがん)稲荷神社」です。
こちらは、神宮寺の一つ、浄願寺(尼寺)の鎮守祠として鎌倉時代に創建されたお社だそうです。商売繁盛・心願成就の御利益があると言われております。
稲荷系の神社へは、わたくしも毎年かなりの数を参拝いたします。
京都の伏見稲荷大社のような大きなお社もあれば、神社の摂末社としてひっそりとお祀りされているお社も含めて、その数はゆうに30,000社を超えるとも言われ、この国の稲荷信仰は本当に根強いと感じます。
わたくしが稲荷の神へお参りする際には、比較的素の状態と申しましょうか、あまり意気込まずに、心静かに神の御言葉一つひとつをじっくりと拝聴いたします。
本当に細かなレベルで、わが身に必要なことなどを、神の御心眼より見定めていただく、そういった居住まいを正すような気持ちで対面させていただく、わたくしにとって非常にありがたい神です。
今回は、“興味”をうまく人生に活用するべきことについて稲荷の神よりの御言葉を頂戴いたしました。どうぞご一読くださいませ。
Rinkoia
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「心の赴くこと(=興味のあること)を、けして絶やしてはなりません。
それは何も、その心の赴く物事自体をまっとうせねばならぬ(=一つに絞ったり完遂したりしなければならない)のではなく、むしろ、その(興味の)“種”を絶やしてはならぬ、ということです。
例えば、何か一つでも強く心を傾けたのであれば(心血を注いだのであれば)、たとえそのもの自体が絶えようとも(尽きようとも)、なお、そこから新たなる“芽”は出だされ、あるいは(派生していくような意味合いで)“枝”もまた生じ、力強く伸びゆくことでしょう。
そうして、一度は絶えかけた種でさえ、土のなか、幹にてはしっかりと生命(生命エネルギー)を宿し、伸びること(※ここでは“成長すること”の意味です。)をけして止めたりはせぬのです。
いつしか芽吹きし生命が、しなやかな枝となり、青々とした葉をつけてまいります。
花も、四季の訪れとともに咲き誇り、やがては“結実”の日を見ることとなるでしょう。
それらがすべて(単発ではなく)“連なり”ゆくことが、自然も、そして、あなたがた(人間の)生命の、実に素晴らしき側面です。
ですから、たとえ思うように事を進められず、あるいは実を結ぶ(=成果を上げる・夢が叶うこと)に至らずとも、けしてこの意気(やる気)を諦(あきら)めてはなりません。
その尊き命のある限り、あなたは幾度でも復活し(=立ち直ることができ)、そしていかようにも、人生に豊かな彩りをもたらすこともできるーーー
命という、人間たる存在を成すもっとも根幹の物事が、一層懇ろとなるべき(=大切な事象・トピックとなる)時代を迎えました。
ゆえに、どうかわが民よ。
今世天より授かりし、あなたのその命こそを、まさに“宝珠”(=究極の宝)として、これよりに日々において大切にされなさい(=大切にしなさい)。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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