神の詩第二章第四~六節 1/4

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神の詩第二章第四~六節

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アルジュナ
「クリシュナよ、尊敬に値するビーシュマとドローナに、どうして弓矢を持って立ち向かうことができようか。(四)」
「この偉大な師匠達を殺すくらいなら、乞食をして生きる方がはるかに良い。彼等を殺せば、この世で得られる富も快楽も血にまみれるだろう。(五)」
「我等が彼等に勝つべきか、彼等が我等に勝つべきか、どちらが良いのか、私にはわからない。ドリタラーシュトラの息子達は我等の前に立っている。彼等を殺して生きていたいとは思わない。(六)」

武器を手から落とし、
沈黙の状態でうなだれていたアルジュナは、
ついに語り始めます。

うなだれているとは、
足元を見直すということです。

浮ついた心を一度地につけることを意味します。

人生で最大の危機がやってきた時、
その状況に圧倒され、
力が抜けたり、
震えが止まらなくなることが起きます。

これは、
真実を真摯に探求し、
神聖な真我をしっかりと見つめなければならない地点に
到達した
ということになります。

尊敬に値するビーシュマやドローナたちは、
アルジュナが
サイコロ賭博で危機になった時も、
謹慎期間を終えて世の中に復帰した時にも、
和平交渉にも、
アルジュナたち5人兄弟のことを公平に見て、
意見を述べてくれていました。

それにもかかわらず、
彼らがドゥルヨーダナ側についたのは、
執着に加えて
金銭的な援助を受けていた影響があります。

本来は
そのようなことで悪しき側に手を貸すべきではないはずなのですが、
これは
利己主義と金銭の欲の怖さを物語っています。

現代社会では、
金銭のために人としての道義を外れる人は数多くいます。

お金と人の正義、道義などは
本来比べることすら出来ないはずのものです。

それが
この物質世界では、
時に命や信頼、愛よりも
お金を優先してしまう
という
おかしくも悲しい現実があります。

それはこの世では、
低次の自己のままでも
偽りの社会的成功を収めることができるからです。

でも
長い輪廻転生の中では、
そんな視野の狭い生き方は全く通用しません。

人が生きていく上で、
「金銭」から完全に離れて物事を考えることが出来たなら、
世界は大きく変わることでしょう。

「もしもあなたが金銭的なことを最優先するのであれば、正しい道を見失うでしょう。
もしも理想を最初に定めるならば、金銭面は後からついてくるでしょう。
最初にすべきことは最初に行いなさい。まず、愛するということを学ぶのです。
“なぜなら、地球とそこに繫栄するものは神の内に在るのですから”。」エドガー・ケイシー3653-1

権力が悪しきものだとわかっている場合には、
どのように振舞うかも
大きな課題になると思います。

基準は、
人に大きな負の影響を与えるかどうか
だと思います。

続きます。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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