この花は何でしょう?
淡いクリーム色の花びら。
拡がる蔓。
そう、
これはキウイの花。
なんとなく、キウイの断面とお花が似ていますよね。
私たちは、
普段食べているものの本来の姿を知らないことが多くなりました。
チョコレートやココアの原料であるカカオの実はデカいです。
綿の花。
この植物で綿の衣料品を作ります。
いままで
いろいろな食材や医薬品の原料の写真も撮ってきましたが、
とても綺麗な生き物たちがたくさんいるものです。
そしてそれを利用している私たち。
食材の自然界での姿を知ったり、
生産者の方々の苦労を知ることは、
食事の時に捧げる感謝の気持ちをより深くするように思います。
私たちが幸せに暮らせるのは、限りない支えのおかげ。
着るものも、
住む場所も、
あらゆる道具も
誰かが考えて作ってくれたもの。
その素材も元は命あるものから出来ている。
肉体として存在できるのも、
毎日命を捧げてくれる動植物、
すべてを育む地球や太陽のおかげ。
「すべての人は支えられて生きている」
有難いことです。
それを自覚したら、
いつも感謝を忘れない人になります。
正法眼蔵(しょうぼうげんぞう】の中に
「人身得ること難し」
という記述があります。
文字通り、
人としてこの地上に生まれてくることはとても難しいこと
という意味です。
「有り難い」と同じです。
ここに有ること自体がとても難しいこと。
本当にラッキーです。
「雑阿含経(ぞうあごんきょう)」
という釈迦大師の教えをまとめた経典があります。
この中にある
「盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)」
の話です。
これは釈迦大師が、
人が肉体を持って地上に来ることがいかに幸運なことかを、
弟子の阿難(あなん)にしたたとえ話です。
「広大な海の底に一匹の目の見えないカメがいる。
そのカメは、百年に一回だけ水面に顔を出す。
そして、
その広大な海に一本の木が漂っている。
その木には一つの穴が開いている。
その流木は、風と海流にまかせて広大な海のどこかをさまよい続けている。
さて、阿難よ、
百年に一度だけ海面に浮かんできたカメが、その流木の穴にすっぽりとハマることがあるか?」
弟子の阿難は、「そのようなことは有り得ません」と答えます。
師は、「本当に絶対に無いと言い切れるのか?」
阿難は、「何億年、何兆年のうちにはたまたま運が良ければ、有り得るのかもしれません。」
師は、「阿難よ、人間がこの世に生まれてくるということは、そのカメが流木の穴に頭を突っ込むよりも難しいことなのだ。有り難いこと。」
人は肉体を持って地上にいられることは本当に幸運なのだと思います。
地上にいるだけで
すでに幸運の持ち主。
毎日が感謝です。
今日もありがとうございます。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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