千駄ヶ谷 鳩森八幡神社④最終回 末社:甲賀稲荷社【大きな困難を得て、共に分かち合う時代】

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東京には、神社の境内に富士塚が設けられていることも多く、わたくしもそれぞれの規模や形状を楽しみながら登っておりますが、実際には大小含めて100カ所以上もあるそうです。

束の間ではありながら、こうして塚を登ることでも富士山信仰を体感できるのは大変ありがたいですし、普段とはまた違った高い視野で周囲を眺めることも今や貴重なことかもしれません。

さて、鳩森八幡神社の千駄ヶ谷 冨士塚頂上(奥宮)での祈りを終え、下山しますと、そのすぐ脇にあるのが “甲賀稲荷社”です。

“甲賀と言えば、忍者の?”とすぐさま思い浮かぶ方もいらっしゃるかもしれません。実際調べたところ、やはりそうした由来があるようです。

当社は、江戸時代に幕府が組織した集団の一つ、甲賀一族が崇拝した稲荷神社だそうです。

甲賀一族は、忍術はもとより、大砲の炸薬(さくやく=砲弾・爆弾などを爆発させるために、中に詰めておく火薬)を含めて、薬学に大変すぐれていたとのことで、末社の神明社と同様、港区元赤坂の権田原(ごんだわら)に長らく祀られていたものが、鳩森八幡神社に遷座されたということでした。

思わず、甲賀のお稲荷様へお参りできる機会に恵まれ、とても嬉しく思いました。

一度深呼吸して気持ちを仕切り直し、祈りを捧げた際にいただいた御言葉を、以下にお伝えいたします。

Rinokia

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「人生少しでも“難なく”、苦労なき日々を送ること、あるいは、煩(わずら)わしき(厄介な)物事を除(よ)けることを、人は得てして(=往々にして)求める。

しかしながら、今や、世の(老若男女)誰しもが、難を除けるどころか、むしろ“難を得(え)”て、さらには(それらの難を)共に分かつ(=共有する)時代でもある。

こういった時世においては、難を除(よ)けることばかりを求めてももはや叶わず、ゆえに、まずもって難を迎え入れる“覚悟”が、何を成す(おこなう)にも欠かせぬ基礎(=大前提の心構え)となろう。

今や、ただ一つの事象についても、行う術(すべ=やり方・方法)は幾つもある。

たった一つの方策のみに頼らねばならぬ(ことの多かった)、かつて(=昔)に比して、こうした状況は、時代の(発展の)恩恵でもある。

しかしながら、むしろ安易な状況に任せ、“除(よ)けたい(したくない)”という、弱き心が、人々の魂に巣食っているのではないだろうか。

この虚(うつ)ろなる心は、怖れや不安を増幅させ、世の諍(いさか)いを呼ぶ。

ひいては(かえって)予期せぬ災禍をもたらす(あるいは甚大にする)ことも、けして否(いな)めはしない。

各々(の人)が世に生きることは、神、そして万霊の願いによってこそ叶い、ゆえに、自らの人生を生きる責務は、実に大きい。

“万事すなわち我が事(わがこと)”との覚悟を据(す)えてこそ、ようやく誠の心(誠実な心)は芽生えていく。

一人ひとりに託されし“生きること”とその意義(重要性)は、今や(コロナ禍などを経て)幾多の魂が天へと召されるそのさなかに、益々大きなものとなり、生きることへの“熱情”を胸に、人生真っ向より駆け抜ける勇者を、天は今や何より求める。」

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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