福岡 住吉神社の本殿向かって左には、今回ご紹介する志賀神社をはじめとして、船玉神社、人丸神社、そして菅原神社の4社が立ち並んでおります。
配列としては、境内のもっとも奥側の船玉神社(御祭神:猿田彦大神)からはじまり、志賀神社、人丸神社、菅原神社へと続きます。
船玉神社で祈りをした際に、猿田彦大神より、「次の社(=志賀神社)にて、綿津見大神(わたつみのおおかみ)との“総意”にて、そなたに言葉を伝えよう」という御言葉をいただきましたため、引き続き、志賀神社にて祈りました。
船玉神社は、“旅行安全・道開き”の神として、また志賀神社(御祭神:綿津見大神)は、“航海安全・金運上昇”の御神徳があるとされます。
道の守護神の猿田彦大神と、また海洋の守護神 綿津見大神は、いったいどのようなメッセージを降ろされるでしょうか。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
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「この世を生きることが、大海原(おおうなばら)を進みゆく“船旅(ふなたび)”としたならば、その船員(※ここでは、この世に生きるすべての人々のことです。)は誰一人として欠けてはならぬ。
“乗りかかった船”という言葉があるように、人は、地球という船に乗り込み、人類総出の船旅をしていると思うがよい。
これはつまりは、同じく未来へ向け、共に苦楽を分かち合い、当然のことながら、生きるも死ぬも共にするということ。
ゆえに、ただ一人の“怠(おこた)り”が、その他幾多の運命を、“致命(=致命傷)”に至らせることもまた心得ねばなるまい。
天より見るに、民らはまさに(運命共同体という)一つの船に乗りて、ときに暗礁に乗り上げ、ときに荒波に彷徨(さまよ)いつつも、一つのありどころ(=求める未来)へ向かうものなり。
しかるに現実には、この“一つの船”に互いに乗り込み、自らの行動(姿)が、全体へもすべからく(=当然のこととして)作用(影響)を及ぼしていることを会得して(えとく=本質をしっかり理解して)いる者は、はたしてどれくらい在るだろうか?
当てもなく彷徨(さまよ)う人類の様(姿)は、まるで“浮草(うきくさ)”と同じ。
一人の規範(=人生の領域)をとうに超え、人類すべての命運をかけた船旅であるゆえに、そのたった一人の存在が軽んじられるということはけしてない。
それどころか、各々(一人ひとり)の、人々と和し(=調和し)、一層この世をより良く生きることを志すその“動力”こそが、船の大いなる前進をもたらすのだ。
自らの人生を、船員すべての幸(さきわ)いを願い、大いに投じることを覚悟せよ。
そして、汽笛(きてき)のごとく、高らかに声を上げ行動を起こす勇者を、われら(神々)は今こそ心待ちにしようではないか。」
(次回④境内社:人丸神社 へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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