神の詩 第四章十四節 3
「行動は私を乱すことなく、私は行動の結果を求めない。この私を真に知る者は、行動に束縛されない。(十四)」
行動の動機を
宇宙の理に合わせるためには、
法に沿った経験の積み重ねが必要になりますが、
それには次の要素が必須です。
宇宙の理に合わせるためには、
法に沿った経験の積み重ねが必要になりますが、
それには次の要素が必須です。
諸行無常と不滅なるものの理解。
宇宙の法(ダルマに対する理解)。
自分と他人、あらゆるものとの二元性を超えた関係性への深い理解。
行動の本質の理解。
行動する者と行為そのものの正しい関係性の理解。
これらを
経験の積み重ねから理解していくことによって、
動機も行動も
自ずと
自然の理に沿ったものになっていきます。
経験の積み重ねから理解していくことによって、
動機も行動も
自ずと
自然の理に沿ったものになっていきます。
また
行動に束縛されなくなるもう一つの要素として、
深い瞑想体験の積み重ねがあります。
行動に束縛されなくなるもう一つの要素として、
深い瞑想体験の積み重ねがあります。
これによって、
物質世界での体験は色あせたものとなっていき、
行動に対する期待も
必要なくなっていきます。
物質世界での体験は色あせたものとなっていき、
行動に対する期待も
必要なくなっていきます。
また
理解した知識が
自分のものとして確立していくのも、
深い瞑想体験によるものとなります。
さらにクリシュナは、
第二章七十一節において、
次のようにアルジュナに言いました。
第二章七十一節において、
次のようにアルジュナに言いました。
「すべての欲望を捨てて、願望がなく、「私」「私のもの」という思いを持たすに行動する者は、平安の境地に達する。」
「私の」「私のもの」
という思いが根底にあるときに、
行動に関する大きな障害が立ちはだかります。
という思いが根底にあるときに、
行動に関する大きな障害が立ちはだかります。
この思いが無ければ、
行動を乱すこともなく、
行動の結果を期待することもなくなります。
「名前と形あるすべてに対して「私のもの」という思いの無いものにとって、もはや、存在しないものに対する悲しみや苦悩は無い。そのような者こそ真の修行者である。」ダンマパダ25-8
「この私を真に知る者」とは、
今まで何度も言及している通り
「真に知る」とは、
知り、理解して、さらに実践を通して
自分の中で理解した段階に在る
ことを意味しています。
今まで何度も言及している通り
「真に知る」とは、
知り、理解して、さらに実践を通して
自分の中で理解した段階に在る
ことを意味しています。
「至人(しじん)は己なく、神人は功なく、聖人は名なし。」「逍遥遊篇」荘子
至人には利己的な私心がなく、
神人には功績を立てようとする心がなく、
聖人は名声を得ようという心がない。
神人には功績を立てようとする心がなく、
聖人は名声を得ようという心がない。
次は
「解脱を求めた古代の求道者達も、このように知って行動した。だから、汝も古代に先人達が行動したように行動せよ。(十五)」
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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