祈りの旅②後編【石巻市震災遺構大川小学校】

その他

※長らくお待たせいたしました。3ヶ月程前に公開した記事について続きを書かせていただきます。

祈りの旅②前編 よりの続きです。)

大川小学校の敷地に併設して、当時の震災の様子を後世に伝えるための伝承館がございます。

発生当時の状況から避難の様子、そしてその後の町の変わり果てた姿などを、説明書きやまた遺物などで知ることができます。一つひとつの展示物から伝わる想像を超える惨状に、様々な感情が胸を去来いたします。

ひとしきり館内を巡り、同じく伝承館のすぐ近くに建てられた慰霊碑に手を合わせにまいりました。

何かしらの不慮の事態(事件・事故)で命が途絶えた場合には、複雑な想いを少なからず当の霊魂は持ち合わせることになります。

その当事者のみが感じ得る、ある意味、非常に繊細な部分に霊的に触れさせていただくことは、礼を尽くし、きわめて慎重におこなっていかねばなりません。

在(あ)りし日の方々、いわば、震災直前までごく普通の学校生活を送っていらした御霊たちに、一体どのように意識を合わせさせていただこうかと思案していたところ、突如、激しい胸の痛みと全身の硬直に襲われました。

“胸が苦しい”という第一声が聴こえたかと思うと、立て続けに、

“息ができない”

“どうすればいいの?”

“怖い”

このように皆、震災発生直後から、自分の身体の痛みや、心に生じた想いなどを口々に訴えてまいりました。

それらの御霊たちの様子を拝見したところ、緊張と恐怖からの胸の高鳴りで困惑し、ひいては全身が思うように動かない状態が、ある程度続いたようです。全身が強張(こわば)る、いわば萎縮の姿です。

亡くなる直前のその想いは、肉体を離れた以降も続きますし、さらには強烈な現象(体感)をもってそれに起因した感情は、一層、魂に刻み込まれることになります。

ですので、拝見した御霊たちは総じて強張りが激しく、あたかも石化(せきか)している状態でしたので、自分で動きたくても動けないという、非常に窮屈な姿でした。

この方々に対してのもっとも適したご供養は、とわたくし自身考えました。

恐怖を取り除くためには、いつでも皆と一緒にいられるという安心感が必要です。

そしてさらには、思うように動けないという感情と動きのジレンマが少しでも解消することが欠かせません。

今回の慰霊碑の場所では、やはり子どもの御霊が多く、その点、元来は自由闊達なエネルギーです。

ですので、頑ななまでの石化の状態を少しずつほぐし(※一気におこなうと、石がまるで崩れるように瓦解されてしまうので、魂にとってはその後の再生が難しくなります)、想えば(念じれば)どこにでも自由に行けることをお伝えしました。

御霊たちは、少しまた少しと、おっかなびっくりで行きつ戻りつしつつも、想うままに動いてくださいました。

幼い子どもが少しずつ色々な動きを習得し、できることを徐々に増やしていくように、霊的にも、長らく途絶えていた動きは慣らしていく必要があります。

津波が襲った町が、そこからまた再興へと歩み続けているように、御霊たちにも、町の復興の変化とともに、お一人おひとりが安心して進んでいただけるよう、ご本人方と、そして数々の指導霊たちにお願いしてまいりました。

復興にはとてつもない時間がかかります。それと同様に、御霊たちが各々負った心の傷、身体の痛み、苦しさもまた、真に癒(い)えるために多くの時間が必要となるのです。

(次回は、祈りの旅③南三陸町震災復興祈念公園 です。

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Source: 神々からのメッセージ

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