広島 宮島③【厳島弁財天(大願寺)】

その他

宮島の厳島神社を一方通行にて抜けますと、すぐさま「大願寺」に到着いたします。

境内の囲いが無く、山門のみ設けられたお寺は、以前はじめて当寺を訪れた際には不思議な印象でした。

こちらは、“日本三大弁財天”の一つと言われていて、“芸術、芸能、学業”などが御利益とされます。

弁財天が祀られた場には、その程近くに不動明王も祀られていることが多く、わたくしも、いつもありがたく両御仏へ祈りを捧げております。祈りの際には、一つの物事についてを、各々の御仏が御言葉を変え、しっかり諭してくださいますので、神仏に対する理解が深まり、わたくし自身大変勉強になります。

今回は、“神の望む生き方”についてお伝えいたします。

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「この世の生きにくさは、人(他人)と安易に比べる(比較する)ことで、往々にして、劣等や惨(みじ)めさ、あるいは(相手を)うらやむ心が陰鬱(いんうつ)たる“鎖”となって、当人も、また当人から連なる(関係する)者でさえ苦しませてしまうことです。

人は当然ながら、姿かたちが異なります。思考でさえ、突き詰めると“すべて”が異なるのです。優劣ではなく、各々の特性(個々の性質)がこの世にいずれも必要ありて、この世は、天も地も(※神や自然、大地や人など“万物”を指しています。)成り立っているのです。

人は、他(他人)と関わらない限りは、生きることが叶わない(実現しない)存在です。

いかなる時代であっても、けして単体(限られた)人種のみに限られず、そこからまた、脈々と生命(いのち)が紡がれたのが、あなたがた(人間の)辿りし道(=人類の歴史)ならば、あなたがたはやはり、個々人にもつ特性こそを、もっと堂々と(大いに)示し合うことで新たな道筋、より良き世界を導くよう努めるのが“本懐”というものでしょう。

互いの“違い”によって、自らに無いものを認め(無いものに気づき)、各々の力が(互いの)切磋琢磨のもとにより“促進”されること、これが、互いの“違い(差異)”の意義です。

差異は、優劣を生むのではなく、新たな分野の開拓、新しい関わり合いを一層促進していくーーー ここにこそ、一層、世界の人々が交わる(関わり合う・知り合う)世にあって、“焦点”を当てるべきでしょう。

増長し(高慢になり)、優位を誇ること、あるいは劣等(劣等感)に己を苦しめることは、何よりも無用(無意味)です。

どちらの行為も、しまいには心身を病ませ、かけがえのなき人生ーーー 人との繋がりありてこその彩り溢れる日々を総じて徒労(無駄)にしてしまうことを、あなたがたは今一度、会得(理解)せねばなりません。

比較ではなく、各々の“進捗(進み具合)”の様相を、互いに新鮮な気持ち、あるいは学ぶ気持ちであることが、いつの時代にも肝要です。

互いに(足を引っ張ったり、遮るのではなく)歩み出だす(歩み進める)ための、一人ひとりに授けられし個々の特質が、折々に(その時どきに)互いの“美点”(=良さ)として認め合い発揮できるならば、この世ななんと麗しき御代になることでしょう。

美しく奏でる音の重なりーーー “協奏”のごとく、皆が朗々と(澄みきって)自らの力(才能)を発揮せしめることを、わたくしは望みます。」

以上。

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Source: 神々からのメッセージ

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