死ぬなら、“昼間”。

「今、病院から連絡が来て、
 お母さん、息を引き取った...って」――

と、父から電話がかかってきたのは、
午前0時53分

「いつ、母になにがあるかわからない」

と、携帯を握りしめたまま、
ベッドの中でうとうとしているときだった

病院に駆けつけると、
父はすでに
永遠の眠りに就いた母が待つ病室に来ていた

どれくらいの間、
静寂に包まれていただろう、
しばらくして医師も病室にやってきた

母が緩和ケア病棟に入院してから
主治医となった女医さんだ

母はいつも先生のことを
「綺麗だ、綺麗だ」と褒めていた

『こんな夜中に、先生も叩き起こされたのだろう』

と、申し訳なく思った

「死亡の確認をさせていただきます」

医師はそう言うと、
ベッドに横たわった母の病衣のひもを優しくほどき、
もう呼吸をしていない胸に聴診器を当てた

そして病衣のひもを結び直し、
二度と開くことのない瞼を開いて
医療用ペンライトで瞳孔をゆっくりと確認

手でそっと瞼を下ろすと、
医師は母の顔を見つめる

そして、姿勢を正した医師は、腕時計に目を遣った

「午前1時45分、
 死亡を確認させていただきました」――

それはまるで、
ドラマのような一場面だった

そして悲しんでいる間もなく、
次々とやらなければならない現実に追われる

まずは葬儀屋を手配し、その間、母の清拭

そして、
母が最後に舞台に上がったときの衣装を着せ、
化粧を施す

医療費の清算を済ませ、
死亡診断書を受け取り、
葬儀屋に母を運ぶ

家に戻ると、
新聞社や広報社へ死亡掲載のための手続き

そして、葬儀屋との通夜・葬儀の打ち合わせ

親類やお世話になった方々に連絡を取り...

早朝からは
新聞社や母の知人からかかってくる電話の応対

次々に訪れる来客の対応

火葬の手続き――

...と、寝る暇もなければ、
食事をする時間もない

そして思った

『死ぬなら、“夜中はダメだな...”」と...

実際、夜中は病院もスタッフが少ない

清拭も看護師が一人付いただけ

精算にも時間がかかった

葬儀屋へ引き渡すための遺体の搬送も、
看護師一人の力では不十分に思えた

  たまたまかなりスリムな看護師さんで、
  「力がない」とご自身でも言っていた

そして、あれから5年8か月――

呼吸苦もなく、
どこにも痛みもなく、

末期がん患者だとは思えないほど
楽な終末期だった

“患者自身も苦しまず、
 それを見守る家族のつらさも最小限に”

そんな理想がそこにはあった

が、最後の最後で手がかかった母の死

「なぜ夜中にたったひとりで、
 逝ってしまったのだろう...」

あまりにも淋しすぎる...

そして思った

現実として、
“夜中に死ぬのは、
 周囲の負担が大きい”ということ

できれば、
明るい時間帯に死んだ方がいいな――

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Source: りかこの乳がん体験記

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