東京都文京区の白山神社は、坂道の起伏の多い住宅地のなかにひっそりと佇んでおります。
本駒込駅から大通りを歩いてまいりますが、住宅地に入るさなかに少しずつ緩やかに下るイメージです。
その後、今度は一転、坂をしばらく上がってのちにようやく境内へ到着いたします。敷地は比較的細長く、本殿を奥にして、手前に境内社が幾つか並んでおります。
本日の境内社「関東松尾神社」は、本殿向かって左脇にあり、蔵のような社殿の造りです。
京都嵐山の松尾大社の御分霊を本勧請したとのことで、由緒ある神社です。
松尾神社と言えば、お酒を司る神でも有名です。やはりこちらにも、何社もの酒造の酒樽が奉納されていて、崇敬の篤さを物語ります。
わたくし自身、京都の松尾大社にはこれまで幾度かお参りしておりまして、御霊水を授かることも含め大変清々しい気持ちになる、好きな神社の一つです。
さすがにこの関東の地で、松尾の神へのお参りができるとは思っておりませんでしたから、当日は嬉しい驚きでした。
御祭神は、大山咋命(おおやまぐいのみこと)と、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)です。
神からは、お酒のみならず食物をいただくこと全般についての御言葉をいただきました。
どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。
Rinokia
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「食物は、謹み(=敬意を払い)、感謝の念をもってその身(=自身)に入れねばならぬ。
これは、食物にちなむ命を(食べることで)得る(=いただく)限りは、無論、真っ当に据(す)えるべき観念であろう。
しかるに、さらに欠かせぬ事柄がある。
それは、一つひとつの尊き食物の命により、生かされる(※この場合には、生命や人生を存続させる、と言う意味です。)のが、まさにそなたの身であるならば、これは何よりも自らを尊ばねばならぬということである。
日々限りなき(食物の)生命を得てこそ、そなた一人の生命は保たれる。
このような仕組みに則し、自らがこの世(現象界)にてあらゆる経験を得て、気づきや、さらにはかけがえのない縁(えにし)を得ることができるならば、そなたのその身はいかに欠かせぬか(大切であるか)、これこそを真に会得(えとく=深く理解)せねばならぬ。
(人間と言う生命へ)命を捧げる食物への敬意は言うに及ばず、さらには、食する際には、わが身(自身)へ(その食物を)“奉ずる(=奉(たてまつ)る)”ほどに、これこそ懇(ねんご)ろに(わが身へ)入れねばならぬだろう ーーー
万事(=すべてにおいて)、自らの、己への(=自分に対する)おこないが、この世の“機運(幸/不幸)”を決める。
神へと捧げる供物も、そなたに供される(=提供される)食物も、何ら変わりはない。(そなたよ、)そうは思わぬか?
神を崇敬し、そして選りすぐりの供物を捧げるならば、いよいよ自らを尊び、益々日々の糧(食物)を慈しみ、懇ろ(丁寧)に、そして快く(=心楽しく)食するが良い。」
(次回③ へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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