鳩森八幡神社の白鳥居をくぐり里宮の祠へお参りし、いざ目指すは、登頂の“奥宮”です。
・・・とは申しましても、実際には、岩で積み上げられた塚をぐるりとまわりますと、すぐさま頂上へ着きます。ただし道幅は狭く、足元を滑らせないよう注意が必要です。
参拝当日は快晴で心地よい風も吹いておりましたので、登頂後気分も晴れやかに、しばし周囲を見渡しました。
そして、奥宮の祠にて祈りを捧げた際、いただいたのが以下の御言葉です。
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「人間というものは、魂の奥に刻まれし“記憶”が、いずれの者にも残っているのでしょうか。
この世に生まれることを、“地上に降り立つ”と言いますが、神の世、これを“天(=天界)”としたならば、地上は下、すなわち“下界”です。
無論、“下”という観念は、必ずしも悪ではありません。しかしながら、“上”というのは、やはり、人類にとりては格別の想いがあるようです。
(“上”を“かみ”とも読みますね?と、この時、奥宮の神はおっしゃいました。)
自らが生まれ出(いずる)元、すなわち“天”は、人間も含めたあらゆるもの(物事)の根源でもあります。
ですから人が、地上(地球)に生きるそのさなかにも、やはり“上”というのは特別な意味をもつのではないでしょうか。
“地”に生きる民ゆえに、天へと連なる場(=山)、あるいは天へと向かう(=向上・成長する)おこない、それらは、人生の道のりにおいては、大きな気づきをもたらすべくの“道標(みちしるべ)”ともなります。
その道標を象徴する一つに、天へと向けて高くそびえる、“山”という姿(存在)があるのです。
古(いにしえ)の先人たちは、神の御代(世界)を、まさに“山”そのものに見て(=捉えて)おりました。
生命(いのち)の根源である山に育(はぐく)まれ、そしていつしか帰るべき場もまた、神なる山であるーーー この信仰は、人類の生き方そのものとも申せます。
地(地上)に生きるゆえこそ、“上”、すなわち、天へともっとも近き山を目指すーーー より高き領域を得つつ、なおかつ、(天に近くなることで)自身の基(もと)へと還(かえ)る、その双方を、人は生きながらにして内実(=実際には)求めているのではないでしょうか。
こうして、人間に内在する“上へ”という観念は、いつの時代も特別な意味合いを持ち、いずれの民も、地と、そこからの天、という関係性、そしてこの“均衡”を、知らず知らずのうちに図(はか)っているのです。
ですから、ごく自然の成りゆきとして、人が地上に生きるには、文字通り、地を這(は)うがごとく、堅忍不抜(=じっと我慢して耐え忍ぶこと)とばかりには到底いかぬでしょう。
ときには、たとえ現状とはそぐわずとも、より崇高な、より壮大な物事を想い描いても良いのです。
あるいは、現実離れであろうと、喜びごと(楽しみごと)などによって、自らの心身が、“上気(=上向きのエネルギー)”を得て、そして前進を辿ることができるなら、これほど素晴らしきものはありません。
“山”には、人にいつでも気づきをもたらす、様々な標(しるし=サイン)があります。
生きる秘訣、心構え、生命の仕組みーーー 神宿る山は、古よりなお、今も大いに“息づいて”いるのです。
あなたがたもまた、日々の現実の厳しきさなか、折に触れ、山を“見上げ”てはいかがでしょうか。
凝り固まった観念、視点、それらをふと上へと逸(そ)らす、この行為すら、すでに“上”へと向かう姿勢(きっかけ)そのものです。
山は美しく、そして雄大なる姿をもって、あなたがたに、けして絶えることなき“上”ーーー 様々な可能性を秘めた、あなたがた人類が進むべき“未来”を示すのです。」
(次回④甲賀稲荷社 へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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