埼玉県 北野天神社の境内には、普段はあまり見慣れないお社がございます。
その名も「文子天神社(あやこ てんじんじゃ)」と申し、菅原道真公の乳母だった“多治比 文子(たじひの あやこ)”をお祀りしております。
京都の下京区に、北野天満宮の前身とされる“文子天満宮神社”があるそうですが、この埼玉の地にもひっそりと祀られていることが興味深いです。
文子天神社は “はた神様”とも呼ばれ、養蚕、織物の神として崇敬され、お蚕の繭(まゆ)や染め糸なども社殿に奉納されております。
当社は同時に、女性や子どもの守り神でもありますので、わたくしも北野天神社へ伺うたびにいつも嬉しくお参りさせていただきます。
こちらで祈りますと、感覚として神の御声は、比較的社殿の“奥”から聴こえます。
おそらくは様々ないきさつがあり、このような距離感をとる形になったのかとも思いますので、わたくしもまた少し控えめに後ろに下がり、やがて降ろされる御言葉を静かに拝聴いたします。
静けさに満たされつつも、毎回お参りの度に、とても美しく明確な御言葉を降ろしていただける神でもあります。
本日は、文子天神社の神よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「この世とは、人の出逢いもまた出来事も、あたかも“織り合う”かのように、互いに繊細に、かつ絶妙に交わり(交差し)、他にはない(=唯一無二の)歴史(時代)となります。
これらに関わる者は、それこそ、これらの織り合いによって紡ぎ出されし“色合い(彩り)”を得て、それがまさに、その者の“人生”となりましょう。
時の流れのなかで、人の人生は、ある意味で“有限(=限りがある)”とも申せます。
それであるなら、同じひと時を過ごすにも、自らの縁(えにし)の広がり、そして、多様な経験を自ずと得る気持ちは、是非にも持ちたいものです。
ですから、自らの心(感情)を内に留めず、目前の出来事に対しては、“折よく、折り合いをつけ、折に触れて”、真心を込め、人々と交わっていくことが何より肝要です。
天より与えられし人生とは、各々が色鮮やかなるほどに素晴らしきもの。
そして、艶(つや)やかな“織り”を成す(=織り成す)ほどに、さらにその美しさは増してゆくことでしょう。
折り重ねるごとに益々美しく、そして深みと鮮やかな輝きを放つこと、これをいかなる立場(状況下)にあろうとも求めていただきたいのです。
そして、それらを叶える(成就する)がため、あなたがたは一層、自らの心身をまるで純白の絹のごとく、真っ新(まっさら)に、澄やかに在る(=生きる)ことを、ひたすら求めてまいりなさい。」
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Source: 神々からのメッセージ
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