“二柱(ふたはしら)社”という名のとおり、御祭神は二柱で、国生み・神生みをおこなった生命の祖神とも呼ばれる、“伊邪那藝大神(いざなぎのおおかみ)” “伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)”が祀られております。
神話内では“最初の夫婦神”として、この世を生命溢れる場とされた神々に、この世の真理についてお伺いいたしました。
皆様の生きるヒントになれましたら幸いに存じます。
Rinokia
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「物事をあまりに固持(=こだわったり固執)してはなりません。
これは何より、世の流れを堰(せ)き止め、濁り(=停滞)をもたらすことでしょう。
“互い違い”という言葉があるように、この世は、異なる“二つ”(※ここでは、2つ以上の複数、という意味も含みます。)の性質から、しかるべく万物が生み出されてまいります。
なぜなら(互いの違いがあることで)均等よりむしろ流れを促し、ひいては“循環”を成すことができるゆえです。
いわば、両者のもつ(それぞれの)性質、そしてそれらから派生する様々な違い(差異)が、究極、何らかを生み出す可能性を大きく秘めているとも申せましょう。
ですから、この世に生きるなかでは、こういった両者の違いからの関わりは、厭わず(嫌がらずに)より一層の好機として得ていくのが良いでしょう。
そしてさらには、ただ一人の生き方のなかでも、巡りをけして止めないことです。
得てして(往々にして)、人は頑な(=頑固)になります。
日常において、何かしら頑なな思考にて、先行き(動き・進行)を留めていることがあれば、それは、自らを塞がりの筵(むしろ※ここでは閉塞の空間・状況のことです。)の中に押し込めているのと同義です。
人間でも、はたまた動物でも、生きとし生ける者は皆、閉塞(閉塞感)のなかには(長くは)居られないのです。
ですから、この世に生きる限り、あなたがたは歩み(動き・行動)を止めてはなりません。
動くこと(行動を起こすこと)の怖れより、むしろ停滞の暗澹(あんたん)たる世の辛さを思いなさい。
まずは、誰か一人でも良い。
自らのこれまでの観念をより一層柔らかく(=柔軟にし)、ついには先行き(=将来・未来)明るきことを信じ、(一つのことに固執するより)行動を起こすことです。
様々な領域(立場・環境)の者が、それぞれの行動によって、果敢にこの世に流れ(動き)をもたらすならば、それは、様々な“種”を蒔(ま)くことができます。
それこそは、人類の積み重ねし、幾多の種(しゅ)から派生し、さらなる生き残りの術(すべ※秘策)となることでしょう。
一様(いちよう)の種より、彩り豊かなる、多種多様な種を地上(地球)に芽吹かせる ーーー
これが、われら(神々)が思い描く理想郷(ユートピア)です。」
(次回は、武蔵御嶽神社の番外編です。)
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Source: 神々からのメッセージ
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