もう、祝うことのない誕生日。

その他

今日は、母の誕生日

いや、

「本当は、
 はっきりとした誕生日がわからない」

と、聞いたことがある

「本当に生まれた日は、
 8月10日かもしれない」――

母が生まれた育った町は、
“ど”がつくほどの田舎だ

加えて、今のように、
出生届も
きちんとしていない時代でもあったらしい

さらに当時は、
5人や8人、10人兄弟なんて当たり前でもあった

「8月10日か10月10日か、
 ばあちゃん(母の母)も
 “わからない”って言っていた

 だからわかりやすいように、
 “10月10日”にしたみたい」

そんなアバウトでいいのか...

小学校の授業参観

お母さんたちが教室に入ってくると、
生徒はみんな振り返る

「あれ、誰のお母さん?」

「あいつのかあちゃんだよ」

そんなひそひそ話が
あちらこちらから聴こえてくる

「静かに!!」

と、先生の声――

すると必ず話題に上るのは、母親の年齢

「うちのお母さんは○○歳」
「うちは○○歳」

と、周りの女の子たちは自慢げに
お母さんの年齢を話しはじめる

『わ...若い...。
 みんなのお母さんって、
 こんなに若いんだ...』

「りかちゃんのお母さんは何歳?」

このとき初めて、私が生まれたのは、
あの当時にしては、
“母が少し歳がいってからの子どもだった”
ということに気づかされたのだ

そんなこんなで、高校生までは、
母の年齢を言うのがとても嫌だった記憶がある

その母はもういない

いなくなって7度目の誕生日

が、母の年齢は止まったまま

歳をとることはない

そして私はその母の年齢に、
ひとつずつ近づいてゆく

私は母の年齢を
超えることができるのだろうか...

  夕刻

  きれいな空が広がっていた

2021/10/10 夕空

  穏やかなような、
  荒々しいような、

  なんとも不思議な空だ

  母もこの空を観ていただろうか

  そして、ふと思う

  「そもそも、
   “亡くなった人の誕生日”は
   祝うものなのだろうか...」

  と...

  今日は心の中で、
  ちょっとだけ祝ってみよう――

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Source: りかこの乳がん体験記

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